世界を揺るがす発見と期待された新型万能細胞 「STAP細胞」。 発表論文に疑義が出たことで、日本有数の研究機関、理化学研究所の信頼性が揺らいでいる。 STAP細胞の 「発見」 は多くのバイオ企業の株価に影響、一時は乱高下した。 論文問題が指摘された後も回復は鈍く 「STAP」 騒動に翻弄されている。        「科学社会全体の信頼性を揺るがしかねない事態を引き起こしたことに対し、お詫び申し上げる」。 新型万能細胞 「STAP細胞」 の論文に対して疑問お声が相次ぐ中、都内で開かれた記者会見の席上、理化学研究所の野依良治理事長は深々と頭を下げた。        STAP細胞はさまざまな細胞に成長する万能細胞で、弱酸性の溶液にマウスの細胞を浸すだけで作製できるとされた。 山中伸弥京都大学教授が開発してノーベル賞を受賞したiPS細胞よりも簡単に作製でき、それを発見したのが若手の女性研究者だったことで世界中の注目を集めた。        だがその後、細胞の作成が再現できないことや過去の論文から画像の使い回しなどが指摘された。 STAP細胞の存在自体を疑問視する声が各方面から寄せられ、理化学研究所は調査を進めていた。         理化学研究所は 「現時点で明らかな不正は見つかっていない」 と説明する一方、「多くの疑問点が解明されておらず、引き続き調査を続けて早急に最終報告をまとめて公表したい」 との考えを示した。         理化学研究所は、物理学や化学、生物学の基礎研究から応用まで幅広く手がける文部科学省が所管する国内最大級の公的研究機関。 1917年創設で、世界的な研究所として知られている。 現在もノーベル賞学者の野依氏を理事長に迎え、同じくノーベル賞学者の利根川進氏がセンター長を務める脳科学総合研究センターや、発生・再生科学総合研究センターを設置。 新分野にも積極的だ。         それだけにアカデミアに与える影響は大きい。 日本のトップクラスの研究機関からの論文で、しかも一流の科学雑誌の 「ネイチャー」 に掲載されたことで、日本の基礎研究に対する信頼失墜のもつながりかねないからだ。         STAP細胞騒動で影響を受けたのはアカデミアだけではない。 バイオ関連各車も株価が乱高下するなど振り回された。         日経BP社バイオセンターが上場するバイオベンチャーの時価総額を指数化した 「バイオINDEX」 は、STAP細胞が発表された翌日の1月30日以降下落した。 発表前には450前後だった指数は、2月4日には344まで下がった。        「iPS細胞より簡単活効率的に、多能製幹細胞を作製できる」 とSTAP細胞が話題になり、iPS細胞の印象が強いバイオ各社は 「用済み」 と判断されたのだ。         iPS細胞による創薬支援や、ES細胞やiPS細胞による研究試薬などを手がけるリプロセルは、2月6日に 「STAP幹細胞と当社ビジネスの関係について」 というリリースを発表。 もととなる細胞は関係なく、何らかの形で作られた多能性幹細胞から各社の細胞を作る技術があるとのスタンスを強調した。         「STAP細胞の発表以降、iPS細胞のビジネスに関する問い合わせが相次ぎ仕事にならなかった」 と横山周史社長は話す。        動物実験などを手がける新日本科学も同様だ。 iPS細胞を用いた加齢黄斑変性の治療法の開発を目指すヘリオスに出資。 理化学研究所や京都大学iPS細胞研究所と共同研究を進める同社は1月31日に文書を発表。 「噂で株価が乱高下していた市場に自社のスタンスを伝える必要があると考えた」。        論文を執筆した小保方春子氏の指導教官らが取締役を勤めるセルシードのように急騰し、その後急落した株もある。        そーせいグループやぺプチグループなどiPS細胞と関連しない企業の株価も変動。 株価はその後緩やかに戻したが、2月10日ごろから 「STAP細胞の論文中の画像に不自然な点がある」 などの報道を受けて、今度はバイオ産業自体の信頼が揺らいで弱含みに。        現在も 「装薬に成功した実績や、技術のある企業も下がってかなり割安感が出ている株もある」 状況だ。 ただ 「割安と判断して取引する機関投資家も、いつまでも反転しない様子に我慢の限界に近づいている」 と山崎氏は付け加える。 理化学研究所は14日の発表でさらに調査が必要だとしており、バイオ企業や投資化が頭を悩ます日々は続きそうだ。(日経産業新聞)         ツイートこの記事をつぶやく
       テーラーメイドゴルフは一般公募したアイデアをもとにゴルフ用品を開発する。 ゴルファーの減少に歯止めをかけ、国内ゴルフ市場の活性化につなげる狙い。 このビジネスもモデルを日本で確立した後、アジアへ本格進出する際のブランド作りにも役立てる狙いだ。        アメリカ・テーラーメイド・アディダスゴルフが全米プロゴルフ協会などと立ち上げたゴルフ市場の活性化手法 『ハックゴルフ』 を使う。 オンライン上で募った消費者からアイデアをエランド、ゴルフ関連商品の開発に生かす。        ハックゴルフは1月から全米でスタートし、既に約4000のアイデアが集まった。 第1弾としてカップの直径が約30センチのホールでゴルフをする 「ワケットボール」 と呼ぶ競技に使用するドライバーを商品化した。 3月中にもアメリカで発売する。 全米15~20コースのゴルフ場と組んでワケットボールを広める。 ゴルフクラブやボールが一般のゴルフ競技に比べ大きいため、子供連れや初心者でも楽しめると言う。        一般ゴルフボールやクラブのサイズを大きくした商品を出す。 ゴルフ競技では普通10本以上のクラブを使うが、4~5本でプレイできるようにする。 日本での発売時期は未定だが、日本向け専用商品として企画も進める。         GfKジャパンによると2013年の区内ゴルフ用品市場は2012年比4%増の1269億円。 ただここ数年はほぼ横ばい。 市場拡大には既存ゴルファーの買い替え需要の喚起も必要だ。         ゴルフ情報誌 「GEW」 を発行するゴフル用品会によると現在、アジアで2番目に大きい韓国市場規模でも日本の半分程度。 メーカーの開拓余地は大きい。(日経MJ)          ツイートこの記事をつぶやく
              運賃        国土交通省は、4月の消費税に伴う鉄道・バス事業者256社の運賃引き上げ申請を認可した。 上げ幅は原則2.86%。 首都圏を中心とする49事業者は、電子マネーに限って1円刻みの運賃設定を導入。 現金運賃は従来どおり10円単位で転化する 『二重運賃』 となる。 普通運賃と定期運賃の上げ幅に差をつける事業者によって対応が分かれた。        認可を受けたのは、全国の鉄道60社、バス196社。 太田昭宏国交相は記者会見で 「事業者に(利用者への)周知や丁寧な説明に万全を期すように求めていく」 と述べた。        電子マネーの1円刻みの運賃を導入するのは、鉄道が東日本旅客鉄道(JR東日本)や東京急行電鉄、東京メトロなど22事業者、バスは国際航業グループや京浜急行バス、小田急バスなど27事業者。 ほぼ全てが首都圏の事業者だった。 首都圏のICカードの利用割合は鉄道、バスともに約8割と関西圏(約4割)などより高く、利用者間の不公平感が出にくい為だ。         例えばJR東日本では、東京―上野間の運賃が現行の150円から電子マネーでは154円、現金払いは160円になる。 都営バスは区内均一200円の運賃が電子マネーは206円、現金払いは210円になる。         引き上げ率は、同じ会社でも普通運賃と定期運賃で異なる。 例えば京阪電気鉄道なら普通運賃は3.062%、定期運賃は2.423%で、会社全体の平均では2.857%になる。 バス事業者の中には定期運賃を据え置く例もある。         増税に伴う運賃改定の実施期間は原則4月からだが、準備に応じて一部でバラつきも生じる。 函館バスは5月、都営地下鉄などは6月、名古屋市営の鉄道やバスは9月からになる。         4月1日からの消費増税では産業界で販売価格の改定が相次いでいる。 交通運賃では、東京都内の大手タクシーの初乗り運賃が710円から730円に上がることが決まっている。 小売業でも増税後の販売価格の見直しが進み、17年ぶりの消費増税に伴う準備作業はピークに入りつつある。(日経夕刊)                      ツイートこの記事をつぶやく
       投稿している時間が無い!?        ツイートこの記事をつぶやく
       今日で日経夕刊の 「人間発見」 のコーナーに掲載されていたシンガー・ソングライター 杉田二郎氏の紹介は最終回です。        音楽を取り巻く環境が変わり、「本当にやりたいこと」 とビジネスがせめぎ会うこともある。      世のなかがフォーク、ロックからニューミュージックと言う新たな時代を迎え、ダンス曲も歌謡曲もオリジナルも何でも歌っていい状況が生まれると、音楽活動そのものがドンドン楽しくなってきた。 いろいろな人たちとジョイントコンサートを重ね、全国各地を7ヵ月半かけて回った 「ここが地球のどまんなか」 ツアーもなな中での挑戦でした。 テレビカメラに向かって歌うのと別に、できるだけ目の前にいる人たち直接、好きな歌をライブで伝えると言う気持ちがずっと続いたいます。      経済関係も関係あります。 昔、何十社もあったレコード会社もだいぶ淘汰されましたが、レコード会社はビジネスして絶えずレコードの売上げを上げなければならない。 でもレコード会社のスタッフがやらせたいことと、僕のやりたいことが必ずしも一致しません。      金融機関などの破綻が相次いだ1998年、「杉田二郎30周年記念コンサート 『絆』 ~きたやまおさむ作品を唄う」 のライブアルバムは、初めて北山氏、大阪万博のアマチュアコンサートの企画者だった中井高之氏と3人で自主制作しました。 ライブ会場での手作りです。 2000年1月に出した 「祈り」 というライブアルバムも3人で作りました。 大手レコード会社の流通経路がなく、精神的支援だけでしんどかったけど、やってよかったと思います。         「戦争を知らない・・・・」 、も 「男どうし」 「ANAK」 も、杉田さんの唄い方が変わったと言われる。      加藤和彦さんはじめ、親友の何人かが既に天国に逝ってしまっている。 例えば 「男どうし」 も、最初は北山氏とぼくとのパーソナルな関係の唄でしたが、最近は一緒に仕事をし、食事をしたこの世にいない仲間の顔を思い浮かべながら、「貴重な時間を、ありがとな」 という気持ちで歌っていることも事実です。 「ANAK」 だって、始めは子供を持つ親の気持ちをこめて歌っていましたが、僕自身が小学生と双子の幼児を孫に持つと、じいちゃんが孫に唄って聞かせいるようなところがある。 「戦争を知らない・・・・」 もそんな感じなっていると思いますよ。      驚いたのは 「男どうし」 なんかが結構、カラオケで歌われていることです。 僕の友人は始めてあった人たちと 「ANAK」 や 「戦争を知らない・・・・」 も一緒に歌ったそうです。 また 「八ヶ岳」 が香港などでも歌われている。 オリンピックのように国境や世代を超えて歌い継がれる音楽の力は凄いと思いますね。        子供たちと 「戦争を知らない・・・・」 を歌い始めた。      いまだに戦争の絶えない世の中で、自国を守るために改憲の議論も出てきた。 僕らが孫を持つ年になると、罪の無い子供たちがずっと 「戦争を知らない子供たち」 出合って欲しい気持ちが強まります。 そこで2年前、デビュー45周年記念アルバムを作る際に、この曲を一緒に歌おうと、神奈川県三浦市三崎の 「かもめ児童合唱団」 を紹介してもらいました。 僕が都内でレコーディングし、三崎で歌った合唱団のコーラスを重ねて出来上がった歌を、城ヶ島の小学校の横にある集会所でみんなで聞き、一緒に何曲か歌うすばらしい時間をすごしました。 これをぜひ大人にも聞かせたいと、と名でライブも実現しました。      今もギターを握ると、いつも自然に口をついて出てくるのはボブ・ディランの 「風に吹かれて」。 戦争をやっている当事国の彼が作り、それを世界中の若者が歌ったというのはすごいことです。 僕の原点でしょうね。 病気も経験して67歳になりましたが、これからも自分が大好きだと思った曲を沢山唄いたい。 できるだけ好きなことを余計にやりたいと思っています。 元気になればウオーキングくらいは再会したい。      最近、稲葉晃さん、ばんばひろふみさん、堀内孝雄さん、高山巌さんそして僕の5人で 「ブラザーズ5」 というユニットを結成しました。 60年代後半から40年以上、音楽の道を歩んできた5人組で、5月からコンサートをやります。 みんな 「新聞読めば何もかもが かすんでよく見えないね」 という年齢に達しましたが、前のめりに生きたいと願う熱いオヤジたちです。                          ツイートこの記事をつぶやく
       今日でシンガー・ソングッライター 杉田二郎氏をご紹介するのは4回目になります。        「戦争を知らない子供たち」 の大ヒットの後、北山修さんはロンドンに留学。 杉田さんが父を理解しようと1年間の宗教修行に励む。      2代目ジローズはテレビもラジオもでまくりで、家にも帰れない忙しさです。 ただ1年間限定のデュオなので1972年に解散。 森下次郎氏は大学に戻り、僕は事務所を設立してソロで 「人力ヒコーキのバラード」 などを作ります。 事務所にはオフコースもいて一緒に 「愛の子守唄」 も歌いました。       しかし、新譜を出しても売れない時期が来ます。 レコードビジネスの圧力を感じて音楽を楽しめないし、「戦争を知らない・・・・」 の決着もつかない。 悩んだ末、休もうと決断します。 宗教家の父の道と本気で向き合わなければならない、と。 74年春から岡山で修行生活に入りました。      修行中も 「事務所が大変です」 とスタッフやオフコースから手紙が来ます。 オフコースは実力もあるのにレコードが売れない。 僕は心が自然体に入って安らかな気持ちになっているから 「自分でやるしかないんだ、頑張れ」 とか 「早く一本立ちしろ」 とか、思えば突き放すような返事を書きました。 数ヵ月後、「やっと中野サンプラザが満員になりました」 と手紙を貰ったときは泣きましたね。      1年間の修行経て、親父は人生をかけて人々の悩みと接してきたんだと改めて尊敬の念を強く抱きました。 修行から戻ってくると事務所のみんなが立派になっている。 うれしかった。 さあ、ぼちぼち行動を起こすかと北山氏に手紙で 「何か始めたい」 と打診すると、「会えるチャンスがあれば作品を作ろう」 と返事が来す。        75年夏、ロンドンの北山氏を訪れ 「男どうし」 など多くの歌を共作。 秋の沖縄コンサートで呪縛から解放された。      「男どうし」 は北山氏と僕のことをそのまま歌った曲です。 シングルカットする一方、一緒に作った全曲を収録したアルバムが 「題名のない愛の唄」。 新たな第一歩で、自信にもつながりました。      その秋、沖縄のコザ(現沖縄市)でコンサートを開く機会があり 「新しい杉田を見てくれ」 という気持ちで舞台に向かいます。 沖縄の本土復帰3年。 フェンスの向こうに米軍がいて、ベトナム戦争の残り香も残っている。 逃げる気持ちがあったんでしょう。 「男どうし」 や 「風」 などを歌って喝采を浴びたけれど、本編には 「戦争を知らない・・・・」 入れませんでした。 しかし、アンコールの拍手を貰い、何も考えずに出て行ったら、自然とこの歌を歌っていた。       すると会場は大合唱です。 涙が止まりませんでした。 ようやく決着がついたと思いました。 北山氏には手紙で 「我々のメッセージが届いた」 と報告しました。        新境地を開いたのが 「ボーカリスト」 の道だ。      沖縄のコンサートを機に歌うことが本当に楽しくなりました。 「積木」 「八ヶ岳」 などがヒットする一方、ある日プロデューサーがフィリピンのフレディー・アギラという歌手の 「ANAK(息子)」 という曲が現地で一日に何度も流れていると言うニュースを持ってきます。 タガログ語で 「子供」 という意味で、親が子供を得た喜びや悪の道を進む息子を嘆く唄です。 心に響きました。 加藤登紀子さんも母親の立場から歌いましたが、僕もなかにし礼さんの日本歌詞で78年に歌い始めました。      カントリー&ウエスタンの大御所、ウィリー・ネルソンが80年頃、アメリカのスタンダード曲を集めた 「スター・ダスト」 を出したときも感動しました。 「杉田も自分の歌心で何でも歌ったら」 と言われていましたが、昔はオリジナルを作りたい気持ちが勝っていました。 でも、なにし礼作詞・宇崎竜童作曲の 「再会」(86年)でもボーカリストという新境地に立ちました。      僕も国を代表するような名曲を歌えたならと思っていた頃、歌謡界の巨匠、吉田正さんの作品を歌う企画が生まれたのです。 2千曲もある吉田作品のなかから、子供の頃から聞き覚えのある 「公園の手品師」 など10曲を選んだ 「ラブ・レター」(91年)です。 先生が 「君の表現で思うように歌うことが一番だよ」 と言ってくださったことがすごくうれしかった。      好きな歌を目の前にいる人に伝えたい。 そんな思いから80年9月から81年4月まで、全国138ヶ所のライブ 「全国138景歌祭り」 をやりました。 「ここが地球どまんなか」 ツアーです。(日経夕刊)                         ツイートこの記事をつぶやく
       今日で3回目になります日経夕刊 「人間発見」 のコーナーにシンガー・ソングライター 杉田二郎氏のインタビュー記事をご紹介します。        高校時代、友人を通じてフォークソングに目覚めた。      立命館高校に入学して驚いたことは、色々な生徒がいること。 親の職業も多岐に及び、サラリーマンの子供が意外と少なく、教員や裁判官、タクシー会社の社長の子供もいれば老舗料亭、センス・うちわ職人の子もいます。 また大阪、志賀はもちろん、奈良県大和郡山市などから通う子や金沢から下宿している子もいる。 自分の行動エリアもドーンと広がった気がしました。      高校2年のある日、山本逸士君、佐竹俊郎君という友達が放課後の教室でギターを弾き始めると、引き込まれました。 「何だ、それ」 と聞くと、アメリカンフォークソングだと言います。 佐竹君はフィギアスケートの選手として大きな大会に出る一方、文化祭でカントリー&ウエスタンやフォークソングを歌う。 音楽好きが彼らのところへ集まりました。 後にアリスが歌ってヒットした 「今はもうだれも」 を作ったのが佐竹君です。      ビートルズは既に存在し、僕もベンチャーズなんかも聴いていました。 佐竹君、山本君から 「二郎も一緒にやらないか」 と誘われ、彼らの家に遊びに行きました。 レコードがいっぱいあるし、ギターも歌も凄く上手い。 面白そうだなと云う気持ちが膨らんでいきました。 将来は教師か新聞記者になろうと思っていましたが、フォークソングが大きなウエートを占めるようになります。 「大学に入ってから考えよう」 と立命館大の法学部と文学部に合格し、日本文学科に進みました。 たぶん、その時点で音楽を取っていたんですね。        大学紛争の嵐の中。 京都はアマチュアフォークの熱気で溢れ、杉田さんも 「自分たちの音楽」 を求めて模索する。      大学ではギターを持った若者が大勢います。 京都御所辺りでは数メートルおきにアマチュアグループが演奏し、人が集まっている。 東京では森山良子さん、マイク真木さんらが学生ながらレコードを出し、大々的にコンサートをやっているとの話も入ってきました。       京都でも学生がグループを束ねてライブを運営する団体がいくつか生まれ、リーダーがはしだのりひこさんでした。 加藤和彦さんや平沼義男さん、北山修さんらがアマチュアのザ・フォーク・クルセダーズ(フォークル)として活動し、解散記念に67年に自主制作したアルバム中の 「帰って来たヨッパライ」 が爆発的にヒットします。      僕も男2人、女性1人のピーター・ポール&マリー(PPM)スタイルのグループ、次に男3人の初代ジローズを結成しました。 いつまでも英語のフォークのコピーでなく、自分たちのオリジナルを歌うと68年 「あなただけに」 「マイ・ハート」 の2曲を作ります。 時代のキーワードは 「ラブ&ピース」 で加速されたいました。 毎日放送の深夜ラジオ番組 「ヤングタウン」 の 「今月の歌」 に 「あなただけ」 を応募すると採用され、東芝からレコードデビューしました。 フォークル解散後、結成された 「はしだのろりひことシューベルツ」 に僕も合流し、「風」 「さすらい人の子守唄」(69年)などのヒットが生まれます。        70年大阪万博のアマチュアフォークの祭典でテーマソングとして作った 「戦争を知らない子供たち」 が反響を呼び、2代目ジローズが歌って大ヒットすると社会現象に。      大阪万博では仲間の一人が事務局にかけ合って、8月23日に 「日本アマチュアフォークソングフェスティバル」 を開催します。 16組の出演者もスタッフも全部アマチュアで、戦後生まれ。 僕はプロなので出演できませんが、テーマソングが必要という事で、北山氏が 「戦争を知らない・・・・」 の歌詞をたたき出してきます。 戦争という言葉を使うことには抵抗があった。 北山氏とは相当議論しました。      万博会場では出演者全員でこの歌を合唱し、ラジオの深夜放送でも流れた。 この年に森下次郎(悦伸)氏と2代目ジローズを結成し、71年2月にリリースすると大ヒットします。 ただあまりにも反響が大きすぎた。 学園祭などで歌うと非難の声が上がる一方、会場でけんかも起きている。 僕も北山氏も傷つきました。 この年、日本レコード大賞作詞賞を受賞しますが、式典に北山氏の姿はなく、ジローズが代わりに出席しました。                       ツイートこの記事をつぶやく
       小売店の店頭や工場、営業現場などでは朝礼を1日の始まりとするところが多い。 朝礼は必要な連絡事項を伝える場であると同時に、上長のスピーチで現場の士気を高めたり、進むべき方向をそろえたりする舞台でもある。 気持ちよく1日のスタートを切るための朝礼のノウハウをまとめた。(日本経済新聞)        ◆ TOTO 身近な話題で盛り上がる      「朝礼こそコミュニケーションを深める場だ」 と話すには、TOTO東京営業センターの猪川精二グループリーダー(48)だ。 東京・渋谷の営業センターではスタッフを40人筒、3組に分けて朝礼を行う。 各グループのリーダーは連絡事項をあらかじめメールで伝えておき、日々の朝礼で確実に伝えることを求められる。       猪川さんは短時間で済まそうと朝礼が事務的になると、雰囲気が盛り上がらないことに気づいた。 この反省からスピーチにはスタッフの関心を引くような話題を繰り込むように工夫。 スタッフや他部門の社員に順番にスピーチさせるようにした。      具体的には営業センターは女性が多い職場だけに、会社の近くにできた新しいお店や美味しい飲食店などを話題に取り上げるようにしたのだ。 すると、スピーチに対する反応が感じ取れるようになり、よく耳を傾けてくれるようになった。 さらに 「あの店に行ってきました」 「是非連れて行ってください」 と言った反響が返ってくるようになり、話す機会が少なかったスタッフとも話すことができるようにもなったと言う。       建材を扱う営業センターでは、営業現場からの無理な発注や顧客からのクレーム対応などストレスが溜まる仕事も多い。 「ちょっとした雑談のネタを提供する」 ことで一緒に働くスタッフと話題を共有し、職場の雰囲気を盛り上げようとしている。        ◆ 大丸東京店 ゲーム感覚で参加意識      メンバー全員が集中して話を聞くような朝礼が理想だが、上長が一方的に話すだけではそうならないことが多い。 大丸東京店で従業員の教育を担当する細谷恵子さんは、各売り場の朝礼の司会をして回る際に必ず2人1組でやるゲームを交える。 「ゲームをやって参加意識を持ってもらう」      大丸東京店の朝礼は、金曜日を覗いて午前9時45分から開店時刻の堂10時前まで売り場ごとに開く。 その日の連絡事項を伝えた後、ゲームを始める。 ゲームは20種類ほど。 その一つは 「お尋ねゲーム」 は2人1組で、ペアの1人が質問し、もう一人が 「はい」 か 「いいえ」 で答えるゲームだ。      お題が 「昼に食べたい料理」 なら答える側にその料理をイメージしてもらい、問う側は質問を繰り返して何を食べたいかを当てる。      正解にすばやくたどり着くコツは 「大きなジャンルから質問していき、徐々に内容を絞っていくこと」 で、来店客の好みを探る際に役立てると言う。       朝礼のしめはあいさつの連呼だ。 「いらっしゃいませ。 ニッ」 「ありがとうございます ニッ」。 語尾わざと 『ニッ』 を加えさせ、笑顔の接客を意識させる。        ◆ 話す前の第一印象 大事      スピーチではまず姿勢に気をつけたい。 聞き手は第一声の前に、既に話者への第一印象を形成している。 猫背やへっぴり腰ではどんなに良い内容の話でも伝わらない。 逆に、胸の貼りすぎや、あごの上がりすぎは不遜に見える。 ひざの力を緩め、力を抜いてから立ちなおし、しっきりとした姿勢を維持したい。       朝礼で反すなら、朝早くからの準備が必要だ。 声が起きるには3時間掛かるとされている。 時間を逆算し、意識して声を出しておくべきだ。 声を出すと、身体が温まり、気分も明るくなる。      スピーチを始めたら作り笑顔は禁物だ。 口元だけ笑顔は聞き手に見分けられてします。 ペットや好きな風景などを頭に思い浮かべると、緊張している表情は自然と明るくなる。       聞き手に対してアイコンタクトすることも有効だ。 しっかり聞いてくれる人を数人見つけ、「ありがとう」 と思いながら目線をやる。 相手がうなずけば自らの持ちネーションも上がるし、同調効果が働き、他の人の顔も上がる。(テレビ朝アスク講師・元アナウンサー)                                ツイートこの記事をつぶやく
       シンガー・ソングラーター 杉田二郎氏のインタビュー記事が、日経夕刊の 「人間発見」 のコーナーに掲載されてます。今日は2回目をご紹介します。        実家は京都市内の宗教協会。 宗教行事や日本古来の音楽の中で子供時代をすごした。      実家では春夏秋冬、さまざまな行事があります。毎日、朝から参拝の人が訪れ、幼い頃からおとなになじって朝6時から掃除をし、6時半のお参りの後、父(道雄氏)の教導(講話)を聞き、7時に食事をして学校に良くと言う生活を、中学校3年まで続けました。      昔はずいぶんとやんちゃで、姉の話では幼稚園は退園になったようです。 「杉田君が来るなら幼稚園に行かない」 と云う子供が大勢いて急遽保護会が開かれ、僕が辞める羽目になりました。 「僕は非常に苦しい人生のスタートを切っている」。 後年、ラジオの深夜放送で話しましたが、やんちゃな性格は小学校も同じです。      小学校の頃から運動は得意でしたが、特に野球が大好き。 近所に甲子園の強豪、平安高校があって、放課後はよく野球部の練習を見に行きました。 おやじは旧制京都2中で野球部に所属し、同志社大ではラグビーもやったスポーツマン。 その影響もあったでしょう。      ひそかな悩みがおねしょでした。 6年生の修学旅行で伊勢へ行くんですが、おねしょがばれたら大変だ、と心配で仕方が無い。 一泊の旅でしたが。 僕も眠らず、みんなを寝させまいと夜は枕投げなどして騒いでしたんですが、いつの間にか寝込んでしまった。 翌朝、そっとお知りの下に手を入れると、ぬれていない。 ホッとしました。 これは大きな自信になりました。      家は雅楽に縁が深く、笙(しょう)や篳篥(ひちりき)などの音色に囲まれて育ちました。 親父は琴も引くし、小唄も民謡も上手かった。 姉が笙も吹ける。 叔父は雅楽もやるし、ジャズが好きでした。 お供え物を頂くお直会では、演奏を聞いたり、芸妓さんが三味線に合わせて舞ったりするのを 「おとなの世界は面白いな」 と見ている子供でしたが、音楽には関心が無かったですね。        復興のつち音を聞きながら、中学時代に 「山の向こう」 の世界を垣間見る。      京都は山に囲まれていますが、小学校は伊勢へ行った以外は自分の記憶では余り京都の外へ出たことが無い。 自宅の屋根に上って大文字役なんかを見ながら、山の向こうはどうなっているんだろうと考えていました。 一方、戦災を逃れた京都にいても、名神高速や新幹線の工事が始まり、復興の凄い勢いが伝わってきました。       中学では運動部には属さなかったが、陸上競技も大好きで、京都の区の大会に走り幅跳びの選手として出場しました。 クラブ活動は弁論部です。 家を継ぐなら人前で話す訓練が必要という親父の意向もあったでしょう。 国電や地下鉄、南海電車を乗り継いで和歌山まで弁論大会に出掛けました。 運転席に入れてもらい、眺めた山の向こうの世界に感動しました。      中学3年の修学旅行は東京です。 当時は専用列車で、網棚に寝るやつがいたり・・・・。 帰りの電車のデッキでガールフレンドと話していると 「私、就職するの」 と言います。 「一緒に高校へ行きたかった」。 当時、中学氏卒業後に就職する子が大勢いました。 僕よりはるかに大人びていて、人生に対する覚悟が違うなと驚きました。        中学時代の骨折を機にスポーツはあきらめ、「絶対に無理」 と言われた立命館高校へ入学する。      中2の球技大会で、バスケットボールの試合中に右ひじを骨折しました。 ギブスをはめたままで、利き腕の右手で字がかけない状態が受験まで続きます。 平安高校はあきらめ、立命館か公立へ行こうと考えましたが、先生は 「杉田、立命館は受かるはずが無いから辞めておけ」 と言います。 でも4つ上の姉が勉強を教えてくれたし、模擬テストの成績も悪くなかった。       不思議と試験では姉におそわったことばかりが出たんです。 左手でゆっくり書くしかないから、間違ってはいけないと一生懸命でした。 合格発表の日、僕の番号があった。 先生が 「本当に受かったのか?」 と心じれられない様子なので不安になったほどです。      立命館への通学は路面電車で1時間近く掛かるので、朝の掃除や講話を聞く生活は終わります。 待っていたのはカルチャーショックと音楽の世界でした。                         ツイートこの記事をつぶやく
       丸紅の子会社の丸紅情報システムズ(東京・渋谷)は、紛失したパソコンやタブレット内のデータを遠隔地から消去するクラウドサービスを始める。 より厳格な情報管理を求める企業には、クラウドに代わり専用システム構築も提案。 紛失端末から情報漏えいなどを防ぎたい官公庁や企業に向け、3年間で1億円の売上げを目指す。        クラウドサービスと構築サービスを月内から提供する。 中核となる遠隔消去ソフトにはセキュリティー対策ソフト開発のワンビ(東京・渋谷)の 「トラストデリート ビス」 を用いる。        丸紅情報システムズはワンビと販売代理店契約を結んだ。 これまで蓄積したシステム構築のノウハウを生かし、他社に先駆けて、個別企業向けの専用システムの構築も請け負う。        利用企業はパソコンやタブレットに専用ソフトを導入し、システム管理者がクラウド上や専用システム上の管理画面を使って対象端末を登録。 紛失時の全地球測位システム(GPS)で位置を把握したり、データを消去したりする。        一定時間インターネットに接続しない端末は、仮に取得者が起動に成功しても、貴重なデータが見つけられないようにデータを隠すこともできる。         遠隔消去ソフトは開発が盛んだが、ワンビ製ソフトの特徴はアメリカ・マイクロソフトの基本ソフト(OS) 「ウィンドウズ」 に対応すること。 競合する遠隔消去ソフトはアメリカ・グーグルの 「アンドロイド」 やアメリカ・アップルの 「iOS」 には対応するが、ウィンドウズには対応できない場合が多い。        利用料は10台で使う場合で年額4万9800円。 システム構築の場合は別途費用が必要。         端末内のデータ消去サービスには参入が相次いでいる。 背景には、スマートフォンたタブレット、パソコンと言った私物の端末を業務で使えるようにする 「BYOD」 の広がりがある。        アメリカ情報セキュリティ大手シマンテックが世界24カ国の個人を対象に実施した調査では、既に世界で49%、日本で32%の回答者が 「BYOD」 を実施。 勤務先にBYODのセキュリティポリシーが存在しないと答えた人は世界でで36%、日本では42%で、安全対策が急務になっている。                             ツイートこの記事をつぶやく
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