先日、浅草橋に行く用事があって用事が済んでからちょっと((゚д゚o)キョロキョロ(o゚д゚))すると、『郡代屋敷跡』 という史跡を発見しました。                  101207_112018      これを、読むと 『江戸時代に、主として関東の幕府直轄領の、年貢の徴収・治水・領民紛争の処理などを管理した関東郡代の役宅があった場所です。    関東郡代は、天正18年(1590年)徳川家康から代官頭に任命された伊奈忠次の二男忠治が、寛永19年(1642)に関東初代官の統括などを命じられたことにより事実上始まるとされます。 元禄年間(1688~1704)には関東郡代という名称が正式に成立し、代々伊奈氏が世襲しました。    その役宅は、始め江戸城の常盤橋門内にありましたが、明暦の大火(1657)による焼失後、この地に移り、馬喰町郡代屋敷と称されました。    寛政4年(1792)に伊奈忠尊が罪を得て失脚した後は、勘定奉行が関東郡代を兼ねることととなり、この地に移住しました。 文化3年(1806)に関東郡代制が廃止され、さらに屋敷が焼失した後には、代官の拝領地となって、馬喰町御用屋敷と改称されましたが、江戸の人々はこの地を永く郡代屋敷と呼んでいました。』         で、今は交番と     101207_120028      小さな公園になっています。        所在は、中央区日本橋馬喰町2丁目地域が郡代屋敷跡のようです。            あぁ・・・  そう言えば美倉橋の袂に昔よく行っていたイタリアンのお店 『郡代』 って有ったがこの郡代屋敷跡からの郡代をとって名前にしたんだな~~          久しぶりに 『郡代』 でワインにイタリアンを食べに行こう(´・_・`。)ヵナァ・・・・        ツイートこの記事をつぶやく
 先日、銀座線 「外苑前」 を下車して神宮球場方面へ向かうと秩父宮ラグビー場を過ぎて後20歩で神宮球場という所に                  101019_152828     って記念碑を発見!([+]Д・)          ボウリングって、1952年12月20日に手動式20レーンの東京ボウリングセンターが従業員120名で開場したそうです。          近代ボウリングの歴史って58年( ゚∀゚ )カッ?  結構歴史があるんだネッ(oゝД・)b ツイートこの記事をつぶやく
 かつ銀を発見してから向かったのは、小伝馬町にある日本橋税務署。 その用件が終ってまたもブラブラすると               101006_113110        『べったら市』 の幟を発見。        このべったら市は、江戸中期の中ごろから、寶田恵比壽神社の門前で10月20日の恵比寿講にお供えするため、前日の19日に市が立ち魚や野菜、神棚などが売られるようになったのがその起源だといいます。 浅漬け大根のべったら漬けがよく売れたことから 「べったら市」 と呼ばれ、若者が 「べったりつくぞぉ~、べったりつくぞぉ~」 と叫びながら縄に縛った大根を振り回して参詣客の着物の袖につけてからかったそうです。 アメと麹で大根を漬け込んでいるため、衣服にべったりとついてしまうことからべったら漬けという名になったと言われている。 第十五代将軍徳川慶喜公もべったら漬けを好んで食べたと言われていることからも、江戸時代から続く伝統ある漬物である。          その寶田恵比壽神社は、           101006_113500     これです。       祭られている神々は、               101006_113522     「事代主命」  「少彦名命」  「大國主命」  「大巳貴命」  「素盞鳴命」 が奉られているようです。          べったら市は、  101006_113446   10月19日と20日の二日間です。          時間を見つけて散策してみよう(´・_・`)カナー   ツイートこの記事をつぶやく
 都税事務所での用件が終って、“そうだ・・・ 確かこの辺に広告業界に入って大先輩に良くお昼ご飯を食べさせてくれて、カツ丼が大変美味しいお店で 『かつ銀』 というお店があったはず” とまた散策すると見つけました。                101005_155701      記憶していたのは、確か路面店だったような記憶だったのですが地下に変わっている???  古い感じのお店だったように思ったのですが30年も前だからビルに建て替えられていても当然だね。        T大先輩は、  そう・・・父親と同じ年代だったかな~~   そのT大先輩は、残念の事に糖尿病を悪化させ失明し、合併症を発症して亡くなられてしまったのですが。、今、存命ならその恩返しが出来るのですが・・・・         とてもグルメな大先輩で銀座に事務所があったものですから、今日は、煉瓦亭のカツレツ食べよう。 次は、竹葉亭のうなぎ、パスタは、イタリー亭次々と案内してくれんです。 まだ、社会人1・2年生のことででしたから、みんな美味しく食べたのもでした。          かつ銀の 『かつ丼』 を始めて見た時に、“へえぇぇ・・・ カツ丼の頭の部分が柳川用の鍋にグツグツとしたものが、ご飯とは別になっているんだ” 今は、カツとご飯が別々になっているのはありふれているけど、30年前に見たときは斬新に見えたな~~~  今までがカツが乗っているのしか見たこと無かったし食べた事無かったからね!!!!!          今日は、この後に予定が有ったから立ち寄れませんでしたが、近いうちに当時を懐かしんで食べたいと思っています。 ツイートこの記事をつぶやく
 今日も、中央区新富町にある東京都中央都税事務所に出かけたのですが、今日は新富町駅を出て何時もの通りではなく 「地井散歩」 でもないのですが散策して反対の通りを歩いて都税事務所に向かうと、       101005_155046        都税事務所の敷地内に 『新富座跡』 という立て札を発見!([+]Д・)           (*゚Д゚) アレ?  今の都税事務所の建物が建っているところが昔は、『新富座』 という建物が建っていたんだ~~~        この碑文を読むと     「新富座は万治三年(1660)木挽町五丁目(現在の銀座六丁目昭和通西側)に創建された『森田座』を引き継ぐ歌舞伎の劇場でした。 森田座は代々森田勘弥が座元で、天保十四年(1856)に『守田座』と改名しました。 明治五年(1872)には、守田座十二代勘弥が新富町に移転進出し、同八年(1875)に『新富座』と改名した。     新富座は市川団十郎、尾上菊五郎、市川左団次、名優を集めて積極的な興行を行いました。 劇業は近代的な様式を取り入れた大規模な建物で 『東京第一の劇場』と称され、周辺には歌舞伎関係者が多く居住し、一帯は芝居町となっていました。    明治二十二年(1889)に歌舞伎座が開場するまでは芝居興行の中心的存在でしたが、大正十二年(1923)の関東大震災で焼失しました。    明治の錦絵には海鼠壁の上に絵看板を並べた大劇場の様子が見え、往時の繁栄ぶりがうかがえます。」      と、説明されています。        今は、  101005_155059   こんなお堅い建物が建っています。 ツイートこの記事をつぶやく
歯医者の帰り神田多町からブラブラ散歩していると、工事中のお店近寄ってみるとサッポロこだわりラーメンの「味の時計台」でした。      100622_184202     6月23日  11:00オープンでオープンセールとして味噌、塩、醤油ラーメン750円のところ390円。   さらに、6月24日・25日の2日間限定で合計500名にお土産ラーメンをプレゼントしてくれる。     これは、食べてみないといけないな~~         ここのお店、前は立ち食いの蕎麦屋で醤油ラーメン置いていた事を思う出します。       名前は、なんだった(´・_・`。)ヵナァ・・       記憶が曖昧だ!!!! ツイートこの記事をつぶやく
築地といったら『築地本願寺』    100617_145925     なんかインドっぽいな。   で、調べるてみると、このお寺は、正式には「浄土真宗本願寺派本願寺築地別院」と言って、その発祥は、元和三(1617)年、西本願寺の別院として、第十二代宗主(ご門主)准如上人によって建立されたそうです。  当時、浅草近くの横山町にあったことから「江戸浅草御坊」と呼ばれていましたが、明暦三(1657)年、歴史的に有名な振袖火事で焼失してしまいました。  しかし大火後の幕府の区画整理のため、旧地への再建が許されず、その替え地として下付されたのが八丁堀の海上でした。     “当時の幕府もひっでぇことしやがるよ。 海の上だったら再建OKだなんて。”   そこで佃島の門徒が中心になり、本堂再建のために海を埋め立てて土地を築き、延宝七(一1679)年に再建。 「築地御坊」と呼ばれるようになりました。 尚、このときの本堂は、正面 が西南(現在の築地市場)を向いて建てられ、市場のあたりが門前町となっていたそうです。     その後、関東大震災で崩壊した本堂の再建では、東京(帝国)大学工学部教授・伊東忠太博士の設計による古代インド様式で昭和六(1931)年に起工、3年後の昭和九(1934)年に落成され現在に至っているそうです。     だから、インドっぽいんだ。 ツイートこの記事をつぶやく
2010,06,17

築地の裏通り

中央保健所の用件が済んでここまで来たら久しぶりに築地まで行ってご飯食べようかと、日陰を探して裏通りを歩くと、    100617_143643     ちょっと昭和40年代にタイムスリップしたようね雰囲気のある路地がありました^^                  ゚+。゚(・∀・)゚。+゚イイ!! ツイートこの記事をつぶやく
昨日、築地の聖路加タワーの隅田川のほとりを散歩したと、お腹も空いたし久しぶりに京橋まで出て『雲楼』の 『もつ入り五目焼そば』 を食べようと京橋2丁目まで行って確かこの辺りにあったはずと探したが 『雲楼』」が無い・無いんダ━━ヽ(`・д・´)ノ━━!!     お店が有った辺りが駐車場になっている (><)     周りが、歯が欠けたように駐車場になっていてどうしたんだろう??? と、調べるとこの辺り再開発で立ち退きになったらしい。                         あぁぁ・・・ とても残念デス!     『もつ入り五目焼そば』 美味しかったんだよ!!!   もつ入りというのが珍しくてしかもボリューム満点だったんだ。  それと、セロリ炒飯がまた絶品だったんだ。                        いや、ホントに残念デス!     で、この辺りをキョロ( 「・ω・ )キョロしていると、土佐人には絶対に外せないお店発見!([+]Д・)       そのお店の名前は、    100615_143044                         『龍馬』                   土佐人にはたまらないお店に違いない。                            多分!?     まだ、昼の時間だからお店のシャッターは閉まっていたから雰囲気は分からないけど日本酒を飲ませるお店のようです。 ツイートこの記事をつぶやく
2010,06,11

迎賓館 

四ツ谷駅へ打ち合わせに行ったついでに 「迎賓館」 にちょっと寄ってみました。                   四ッ谷駅から直ぐの所に有ります。                       100611_175710       これじゃ遠いから近寄ると、               100611_175747                  なんだか日本じゃない雰囲気漂わせています。   更に、近寄ると     100611_175903                          雰囲気のある建物ですね!!! ツイートこの記事をつぶやく
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