2014,04,04

“自ら働き 高みを目指す” WiL パートナー 奥本直子氏

               奥本氏           日経流通新聞 「仕事って何」 のコーナーに WiL パートナー 奥本直子氏の記事が出ていましたからご紹介します。        4月から新年度。 多くの若者が新社会人として大一歩を踏み出す。 日本企業を取り巻く競争関係が厳しさを増す中、仕事とどう向き合うべきか、何のために働くのか。 壁を乗り越え、実績を積み重ねてきた経営者や識者に語ってもらう。 1回目はアメリカ・ヤフーで創業者ジェリー・ヤンチャー投資・育成会社のWiLでパートナーを務める奥本直子氏。        --ヤフーを退任する再には現地のメディアが報じたほど、シリコンバレーでは知る人ぞ知る存在でした。 渡米のきっかけは留学だったとか。      「小さい頃から世界で活躍する仕事にあこがれていたが、最初の職場は京都の高島屋。 輸入品の売り場尚担当だった。 マッキンゼーに転職して調査などを担当していたところ、知人が奨学金を得て海外に留学した。 それで、私もいけるかな、と」      「英文科卒で学生時代もホームステイに言ったりしたが、実際に留学してみると言葉の壁が予想以上に高かった。 講義が全く分からないし、ノートも取れない。 言葉はツール(道具)なんだと痛感した」      「日本人は見掛けを気にするが、途上国から来た留学生は気にせずに発言する。 国を背負ったエリートであることも多い彼らの発言には中身がある。 実は留学したかった理由の1つは、湾岸戦争のときに日本が多国籍軍に多額の財政的な支援をしながら、感謝されなかったことに疑問を持ったから。 発音が綺麗でなくても言い、自らの立場をはっきりと主張することの大切さを学んだ」        --アメリカ・ヤフーと日本のヤフーを橋渡しするようになったきっかけは。      「ボストン大学で修士号を取得し、日本と世界の橋渡し役になるという目標が定まった。 アメリカに残り、喫茶店チェーンや美術館などでマーケティング担当として働いた後、アメリカでネット企業に就職。 日本法人やパートナー企業との調整役を担った。 その後、ヤフーがアジア地域のマーケティング担当を募集していることを知り、応募した」       もともとヤフーのジェリー・ヤン夫人のアキコ氏と知り合いだった。 入社当時は5年ほど疎遠になっており、てっきり引退しているものだと思ってヤン氏にメールを送ったら、『お昼と食べよう』と。 その席で 『日本のヤフーとの関係が上手くいっていない。 ナオコ、日本語できるわよね。 2ヶ月で改善提案してくれないか』 と言われた」        --入社わずかな期間で任された難題にきっちり成果を出し、上部の評価を得て行きました。      「当時、日本側では100人くらい話を聞いただろうか。 『ライセンス料を払っているのに、アメリカ本社の技術サポートは不十分だ』 という不満はよく理解できた。 日米の折半負担で、お互い利益となる戦略を考えるチームを作りましょうと提案し、改善に取り組んだ」      「その後、日本のヤフーは大きく成長し、アメリカ・ヤフーのライセンス料収入も大きく増えた。 ヤフーでの直属の上司は国際マーケティング担当、国際担当役員と変わっていき、最後は国際プロダクト・ビジネス担当のバイスプレジデントとして、ヤン氏と直接やりとりしていた」         --3月にベンチャー投資・育成会社に移り、日米の大企業の橋渡し役となって、仕事の意義、目的はなんですか。      「問題を解決し、周りの人を幸せにすることだろうか。 ヤフーが買収したネット広告のオーバーチュアとの統合は本当に苦しい日々だった。 人材と製品をどうするか。 問題が山積みだったが、そういう時は関係する全ての人が幸せになる為に、問題を解決する為にどうしたらいいかと考える。 山を動かすのは厳しいが、わずかでもいい。 前に進むことだ」      「慣性の法則で動いていてはダメ。 自分で動かないと。 昔どこかの雑誌で読んだ言葉が印象的だった。 高みを目指して山を登ると息苦しい。 平らな道は苦しくない、と。 苦しいときは高みを目指しているんだ、と思うようにしている」          奥本直子氏のこだわりは、「共通のゴールを見つけること」 という言葉を強調する。 アメリカ・ボストン大学でコミュニケーションについて学び、その後もアメリカIT大手と日本やアジアの橋渡し役として活躍しただけに、「丁寧に相手の話を聞く」 にが持ち味だ。 「どんなに複雑な状況でも共通の目標を作り、自分が動けば、人も動く」。 文化の違いを越えた長年の実績に基づくこだわりだ。        ツイートこの記事をつぶやく