今日で日経夕刊の 「人間発見」 のコーナーに掲載されていたシンガー・ソングライター 杉田二郎氏の紹介は最終回です。        音楽を取り巻く環境が変わり、「本当にやりたいこと」 とビジネスがせめぎ会うこともある。      世のなかがフォーク、ロックからニューミュージックと言う新たな時代を迎え、ダンス曲も歌謡曲もオリジナルも何でも歌っていい状況が生まれると、音楽活動そのものがドンドン楽しくなってきた。 いろいろな人たちとジョイントコンサートを重ね、全国各地を7ヵ月半かけて回った 「ここが地球のどまんなか」 ツアーもなな中での挑戦でした。 テレビカメラに向かって歌うのと別に、できるだけ目の前にいる人たち直接、好きな歌をライブで伝えると言う気持ちがずっと続いたいます。      経済関係も関係あります。 昔、何十社もあったレコード会社もだいぶ淘汰されましたが、レコード会社はビジネスして絶えずレコードの売上げを上げなければならない。 でもレコード会社のスタッフがやらせたいことと、僕のやりたいことが必ずしも一致しません。      金融機関などの破綻が相次いだ1998年、「杉田二郎30周年記念コンサート 『絆』 ~きたやまおさむ作品を唄う」 のライブアルバムは、初めて北山氏、大阪万博のアマチュアコンサートの企画者だった中井高之氏と3人で自主制作しました。 ライブ会場での手作りです。 2000年1月に出した 「祈り」 というライブアルバムも3人で作りました。 大手レコード会社の流通経路がなく、精神的支援だけでしんどかったけど、やってよかったと思います。         「戦争を知らない・・・・」 、も 「男どうし」 「ANAK」 も、杉田さんの唄い方が変わったと言われる。      加藤和彦さんはじめ、親友の何人かが既に天国に逝ってしまっている。 例えば 「男どうし」 も、最初は北山氏とぼくとのパーソナルな関係の唄でしたが、最近は一緒に仕事をし、食事をしたこの世にいない仲間の顔を思い浮かべながら、「貴重な時間を、ありがとな」 という気持ちで歌っていることも事実です。 「ANAK」 だって、始めは子供を持つ親の気持ちをこめて歌っていましたが、僕自身が小学生と双子の幼児を孫に持つと、じいちゃんが孫に唄って聞かせいるようなところがある。 「戦争を知らない・・・・」 もそんな感じなっていると思いますよ。      驚いたのは 「男どうし」 なんかが結構、カラオケで歌われていることです。 僕の友人は始めてあった人たちと 「ANAK」 や 「戦争を知らない・・・・」 も一緒に歌ったそうです。 また 「八ヶ岳」 が香港などでも歌われている。 オリンピックのように国境や世代を超えて歌い継がれる音楽の力は凄いと思いますね。        子供たちと 「戦争を知らない・・・・」 を歌い始めた。      いまだに戦争の絶えない世の中で、自国を守るために改憲の議論も出てきた。 僕らが孫を持つ年になると、罪の無い子供たちがずっと 「戦争を知らない子供たち」 出合って欲しい気持ちが強まります。 そこで2年前、デビュー45周年記念アルバムを作る際に、この曲を一緒に歌おうと、神奈川県三浦市三崎の 「かもめ児童合唱団」 を紹介してもらいました。 僕が都内でレコーディングし、三崎で歌った合唱団のコーラスを重ねて出来上がった歌を、城ヶ島の小学校の横にある集会所でみんなで聞き、一緒に何曲か歌うすばらしい時間をすごしました。 これをぜひ大人にも聞かせたいと、と名でライブも実現しました。      今もギターを握ると、いつも自然に口をついて出てくるのはボブ・ディランの 「風に吹かれて」。 戦争をやっている当事国の彼が作り、それを世界中の若者が歌ったというのはすごいことです。 僕の原点でしょうね。 病気も経験して67歳になりましたが、これからも自分が大好きだと思った曲を沢山唄いたい。 できるだけ好きなことを余計にやりたいと思っています。 元気になればウオーキングくらいは再会したい。      最近、稲葉晃さん、ばんばひろふみさん、堀内孝雄さん、高山巌さんそして僕の5人で 「ブラザーズ5」 というユニットを結成しました。 60年代後半から40年以上、音楽の道を歩んできた5人組で、5月からコンサートをやります。 みんな 「新聞読めば何もかもが かすんでよく見えないね」 という年齢に達しましたが、前のめりに生きたいと願う熱いオヤジたちです。                          ツイートこの記事をつぶやく