セブンイレブン・ジャパン社長 井坂隆一氏のご紹介も今日で4回目となります。       29歳のときに、弁当や惣菜の配送体制を抜本的に改革する担当となる。      1987年、鈴木敏文社長(当時)が全社に大号令をかけました。 「3便をやるぞ」。 当時の弁当や惣菜は専用工場から1日に2回配送していましたが、それを3便にするというのです。 弁当などの商品開発の仕事をしていたので、私は至急計画を立てるように指示が来ました。      工場から猛烈な反発が出ることは当然で、やったことの無い24時間フル稼働になるからです。 3便のメリットを説明し、納得してもらうしかありませんでした。 「我々は1日に3回食事をしています。 そのサイクルにあわせて鮮度の高い美味しい商品を届けることは理にかなっています。 今のままだといつまでたっても外食産業や家庭の味には勝てません」 とお願いする日々です。       3便体制だと朝食、昼食、夜ご飯の3色の生活シーンにふさわしいメニュー開発も求められます。 いろいろなところに目配りしながら仕事を一つ一つ積み上げていくことの楽しさも知りましたね。 美味しくなった商品は良く売れました。 工場の利益にも繋がり、従業員の給料も上がります。 時間が掛かりましたがやってよかったです。        ハワイへの赴任を命ぜられる。 現地の 「セブンイレブン」 の立て直しだった。      ハワイのお店はアメリカのサウスランド社(現セブンイレブン・インク)が運営していたのですが経営が芳しくなく、日本のセブンイレブンが89年に救済に乗り出したのです。 日本で商品開発、物流、店舗は衣鉢などいろいろな仕事を経験してきたからでしょう。 「君が、ちゃんとやってこい」 とハワイ勤務の辞令が下りました。 90年春のことです。 鈴木社長が 「進駐軍になるな。 一緒に汗を流せ。 お客様とマーケットを素直に見て、オペレーションを組み立てろ」 と言って、送り出してくれたのを覚えています。      ハワイのお店は、缶ビールなどを山積みしてディスカウントして売っていました。 商品を売って利益を得るというよりも、メーカーに売り場スペースを売ってもうける場所貸し業のようでした。 サンドイッチはお店で作り、品質はまちまち。 日本のように専用工場はありません。 「これは本当に位置から作り直さないといけない」 と思いましたよ。        日本のセブンイレブン流をハワイに導入するのに苦労する。      ますは、サンドイッチをつくってくれる工場探しから始めました。 何とか機内食の工場にレシピを持ち込んで作ってもらったら、わずか数ヶ月で取引が打ち切りになりました。 「注文数が少ない。 各店に配送していたら非効率で割に合わない」 の一点張り。 再び、振出です。 陳列棚も多様な商品が綺麗に入るように変更し、各店舗にあわせてレイアウトの設計をしました。       やはり、日本からやってきた人物は警戒されます。 その空気が分かったのはクリスマスパーティーでした。 「仕事は大変だけど、必ず実を結ぶよ」 と簡単にスピーチをして大空くなビートルズの 「オール・マイ・ラブング」 を歌うと、みんながステージに上げって大合唱となりました。 打ち解けた瞬間でした。      現場にやる気が出てきたのが手に取るように分かりました。 「イサカさん、売れる商品を発注するには時間帯別の販売動向を知らないと発注の精度が高まらない」。 この言葉を聞いたとき気づいたことがあります。 今、ハワイで取り組んでいることは日本のセブンイレブンが創業の頃から築き上げてきた業務・システムの設計思考に繋がっていることだったのです。 非常に貴重な経験でした。        ハワイの再生に手ごたえを感じ始めた頃、業績不振の本家アメリカのセブンイレブンを買収することを知る。      私がハワイで働いていた時にはすでに本国の救済が視野に入っており、ハワイで先遣隊として再生に着手し、その実績を基に本国の救済策を練ろうとしていたのかもしれません。 当時、アメリカでは 「もはやコンビには時代遅れ」 と言われていました。 しかし、どうでしょうか。 便利さを追求する本来の店づくりをしたことでアメリカも再生ができました。                           ツイートこの記事をつぶやく
       今日で3回目になります。日経夕刊の人間発見のコーナーにセブンーイレブン・ジャパン社長 井坂隆一氏のイッタビュー記事をご紹介します。         就職活動でセブンーイレブン・っジャパンに関心を持つ。      父から上場企業の業績や株価がコンパクトにまとめてある分厚い本を手渡されました。 「これを見て会社選びの参考にしなさい」。 就職活動を控えた1979年夏ごろです。 当時はカタカナの社名が少なかったような気がしました。       証券会社に勤める父とあまり関係のなさそうなメーカーを探して会社訪問のスタートです。 この本はセブンーイレブン・ジャパンは載っていませんでした。 非上場会社だったからです。 でも、何か気になっていました。 まだ生鮮食品は置いておらず、若い人が好みそうなファストフーズ、飲料、お菓子、おつまみなどが綺麗に並んでいます。 いつの間にか家に近くに 「セブンイレブン」 の看板を掲げる店が数点できました。      こんな小さなお店の集積が新しい産業になるかもしれないと、おぼろげながら思いました。 興味がわいて調べてみると、スーパーのような直営店方式ではなく、フランチャイズチェーン方式による出店方式であることも知り、「こんなやり方があるんだ」 と感心したことを覚えています。       上場会社でもないし、父の仕事とは相当離れていることもひかれましたね。 東京の千代田区三番町にあるセブンイレブンの本社(当時)で面接を受けて何とか内定を貰い、父に報告すると 「ああ、もう直ぐ上場する会社だ」 と。 確かにセブンイレブンはその年10月に東京証券取引所第2部に上場予定でした。 当時としては創業から上場までの最短記録を更新したことが話題になっていました。        担当した福島県の店舗で仕事の意義を知る。      入社すると数年間は店舗運営に携わります。 入社した年(80年)の12月、東北地方は市民生活に支障をきたす穂での大雪に見舞われました。 有名なクリスマス豪雪です。 セブンイレブンでもおにぎりやお弁当などを絶やさないように関東地区からも商品を運び臨戦態勢です。 いつもなら、私たちがお客様に対して 「ありがとうございます」 と接客しますが、こうした状況では逆になるのです。 「ありがとう 助かった」 お客様からそう声をかけていただき、初めて小売業に携わる喜びを実感しました。 新人時代の貴重な体験です。       仕事にも熱が入ったのは言うまでもありません。 ところが大半の同時社員が店舗研修を終えて、店舗の経営相談員の研修を受けているのに自分はまだその段階にいけなかったのです。 理由は帳簿上の在庫と店頭にある在庫が一致しなかったからです。 「品減り」 と呼ばれ、店舗から発注した商品が正確に店舗に届けられたか検品体制が充分でなかったり、清算時も正確にレジ打ちが出来ていなかったりしたことが理由です。       24時間営業の店には20人ほどが入れ替わりで働いています。 全員に逸品逸品を大切に管理する店舗運営の仕方を理解してもらわないと 「品減り」 は解消されません。 セブンイレブンやイトーヨーカ堂には 「単品管理」 という言葉が有り、その大切さを痛感しました。       勤務していた 「セブンイレブン虎丸店」 (福島県郡山市)はセブンイレブンが本家区的に24時間営業を開始したお店です。 最終のバスの時刻をスギ、ヒット小一人いない場所でしたが真夜中でも自転車や自動車で買い物に来て、24時間営業が日本でも受け入れられることを教えてくれた歴史的な店舗です。        仙台地区で新規出店の担当になる。      なんと 「品減り」 がなくなり、次のステップに進めました。 しばらくすると仙台地区に進出することが決まり、そのメンバーとして仙台常駐です。 ビジネスホテルに長期予約を入れました。 ところが商品陳列に始まり、従業員の教育など目の回るような忙しさです。 1店が順調に立ち上がると次の新店の立ち上げが待っています。 2ヶ月ほどそんなダンボール生活が続いたでしょうか。 今では有り得ない働き方ですが、懐かしい重いです。      只東日本大震災で被災した店舗に中には自分がお手伝い店も含まれていて心が痛みました。                          ツイートこの記事をつぶやく
       昨日から日経夕刊の 「人間発見」 にセブンーイレブン・ジャパン社長 井坂隆一氏のインタビュー記事をご紹介していますが今日は2回目です。        高校で生徒会の議長になり所属するテニス同好会を部に昇格させた。      中学でも野球部に所属して白球を追いかける日々です。 レギュラーポジションを得ることはできませんでしたが、3年間の部活生活は充実していましたよ。 足が速かったこともあり、陸上の大会にかり出されました。      高校では公式テニスの同好会に入り、今度は黄色いボールを追いかける青春の日々です。 グラウンドは広くてテニスコートが4面もあり、練習環境は恵まれていると思ったのが入会の理由でした。 ところが入会してつかの間、同好会がコートを使用できるのは週に1回だけだったことを知りました。 毎日、コートで練習したのは運動部である軟式テニス部。 「不公平だ」 と思いました。 メンバーは同好会のほうが多かったのです。      そこであることを思いつきました。 生徒会の議長に立候補してテニス同好会を部に昇格させる世に働きかけることにしたのです。 議長に当選し、部への昇格を議題にのせました。 同好会でも都の大会に出場するなど実績がありましたから、その資格は充分にあると考えたからです。       同好会の活動は自分が良く知っています。 同好会の幹部にあらかじめ事情を含めておいて会議で質問しました。 「対外活動はどんなものがありますか」 と聞くと、同好会の幹部が 「都大会に出ています」 と。 すると私が 「それはすごいじゃない。 真剣に活動していますね」 といった具合です。 自作自演の何物でもありません。 見事に部に昇格できました。 いろいろな人に事情を話して行動をしてもらう楽しさ、大切さを学んだ気がします。      高校は東京大学駒場後者に近く、学生運動も活発だったようです。 私が通ったときには下火になっていましたが、学生運動の看板や後者にペンキで描かれた独特の文字が名残としてありました。        青山学院大学に入学し、スキーに熱中する。      高校時代に取った 「メイド・イン・USA・カラログ」 というライフスタイル雑誌に大きな影響を受けましたね。 それまでのスキーといえば山岳スキーが一般的でしたが、著名なスキー所でアルバイトをしながら長期滞在するスキーバムと呼ばれる人たちが紹介され、興味を引きました。      ちょうど若い人たちにスキーブームが沸きあがろうとしていた次期です。 深夜放送ではユーミン(松任谷由実)の曲が流れ、「スキー場に淡い舞台があるんだなぁ」 と憧れていました。       子供の頃からスキーは好きだったので大学では本格的にスキーをやろうと決めました。 白馬、白岳、志賀などのスキー場を年間80日くらいは山ごもりしていたと思います。 かなりのめりこみ2年生でスキー1級を取り、大学盛況主催のスキースクールに参加して昼間はアルバイトで初心者を教え、それが終わると今度は指導員から特訓を受けました。       ここまでスポーツのことばかりだったのでキャンパスライフについても少しお話します。 大学は法学部に入り、ゼミでは表現、言論の自由の根拠になっている。 「憲法21条」 について学びました。 卒論は公正原則(フェアネスドクトリン)についてです。      後講釈になりましが、この卒論はセブンイレブンのビジネスモデルに通じるところがあります。 セブンイレブン本部と加盟タンとがフランチャイズ契約で対等の関係であることが盛り込まれます。 其々の役割を果たすことでお店の運営が円滑に行くのです。       当時、大学には著名人もいました。 サザンオールスターズの桑田圭祐さんを学食で見かけ、キャンパスを歩くと女優の名取裕子さんは存在感がありましたね。        小さなお店に関心を持つ。      家の近所に夜11時まで営業する 「セブンイレブン」 がありました。 日が暮れると真っ暗になる住宅街に暖色系の証明が生えていたのが印象的でした。 まだ、この店がどのように運営されているかなど知るよしもありません。 ただ、自分のような若者が食べたがる商品が沢山並べてあったのを記憶しています。 壁に貼ってあるアメリカをイメージした明るいポスターも気に入りました。 「スーパーではい新しい形の店なんだ」 と思っていました。 これが 「セブンイレブン」 との出会いです。(日経夕刊)                                   ツイートこの記事をつぶやく
       日経夕刊の人間発見のコーナーにセブンーイレブン・ジャパン社長 井坂隆一氏の記事が掲載されていましたからご紹介します。        店舗面積が100平方メートル足らずのコンビニエンスストア。 1店1店の売上げを足すと年間4兆円近くになる日本の最大の小売業に上り詰めた。 おにぎり、お弁当、惣菜、プライベートブランド(PB=自主企画)商品などの開発に携わってきたのがセブンーイレブン・ジャパン社長の井坂隆一さんだ。      1号店を東京・豊洲に出店して今年40周年を迎え、その店は今も繁盛店として地域の人たちに親しまれています。 おかげさまで全国のセブンイレブンには年間で述べ65億人のお客様が来店され、おにぎりだけでも17億個も買っていただいています。 コンビには社会のインフラと呼ばれるようになり、その期待にこたえるように店舗運営、商品開発に取り組んでいきます。 今月、多くの地域で大雪に見舞われ、一部地域ではお客様にご迷惑をおかけしました。 自宅から一番近い店舗として食料品など生活必需品を絶やさないように生産、配送体制も万全を期していきます。      この世界に入って35年。 当時はコンビニと云う言葉がまだそれほど使われていませんでした。 只、夜中でもどこか温かい照明で人を迎えてくれるセブンイレブンに吸い込まれるように店内に入った記憶が残っています。 一人の消費者からこの会社に入り、いくつかの部署を経験し、経営を任される立場になった。       「コンビにだから・・・」 よいった妥協はしたくありません。 お客様には 「セブンイレブンだから美味しい。 良い品質だね」 といってもらえるまで、突き詰めていく姿勢を大切にしたいです。         東京生まれで、4歳のときに父親の転勤で大阪に住む。      関西弁が覚えられず、引っ込み思案な子供でした。 そのせいかテレビっ子になってしまいました。 証券会社に勤めていた父が帰宅が遅いのをいいことに 「鉄腕アトム」、戦争ドラマの 「コンバット」、濡れ衣を着せられて警察から追われながら真犯人を捜す 「逃亡者」 などを見るのが好きでした。 特撮テレビ 「怪獣マリンコング」 という番組も鮮明に覚えています。 まだ 「ウルトラQ」 や 「ウルトラマン」 が無かった時代です。       小学校に入って野球をやり始めてからは少しずつ関西に馴染んできたような気がします。 補欠でしたけど。 1964年(昭和39年)に阪神タイガースが劇的な逆転でセ・リーグ優勝を果たしたときに大阪にいたので、今でも阪神ファンです。 そもそもスポーツ用品などで野球帽を買おうとしても大阪では巨人の帽子はどこも売っていません。 阪神、近鉄、南海、阪急という関西の球団ばかりでしたね。      子供の頃は 「欽(きん)ちゃん」 と呼ばれていました。 お笑いコンビ 「コント55号」 がお茶の間を沸かせた時代です。 その一人、萩本金一さんはたれ目で、私もそうだったことから付いたあだ名です。         少年時代の祖父との交流が心に刻まれている。      小学校4年で東京に戻りました。 地元の野球チームに入りました。 ポジションはセカンド。 その頃から三重県伊勢市に住む父方の祖父から生活する上での心構えを聞かされるようになっていたのです。 父はそれなりの地位になっており 「おまえもしっかりしろ」 と。 よほど極楽とんぼのように見えたのかもしれませんね。      中学なると祖父から英語の手紙が来るようになりました。 「学校で英語を学んでいるからこれくらいは分かるだろう。 訳して、英語で返事をよこしなさい」      達筆な筆記体だったので読めなくて難議しましたよ。 辞書を手にしながら読むと、季節の移り変わりのことが書いてあり、「東京は暑いだろうから夏休みに遊びに来い」 といった内容でした。 孫の顔を見たかったのかもしれませんね。 確かに伊勢神宮近くを流れる五十鈴川は清流で、伊勢の隣の二見浦は絶好の海水浴場があり、楽しい思い出がいっぱいです。       大好きな祖父でしたが、父と子供である自分を比較されることに抵抗があったのは事実です。 いつしか、大人になって働くときには父の仕事とは遠い場所にいるだろうと思うようになっていた自分がいました。(日経夕刊)        明日、2回目のイッタビューをご紹介します。                          ツイートこの記事をつぶやく
       交流サイト(SNS) 大手のミクシィは昨年6月に就任したばかりの朝倉祐介社長が顧問に退く人事を発表しました。        30歳の新社長として構造改革を積極的に進めたが、わずか1年で表舞台から去る。 早期退任の裏には、合理化にムチを入れすぎ、不協和音が飛び交った為との指摘もある。        「つながりたいという概念以外のものは全て捨てて良いという気持ちで、ミクシィ再生に取り組んできた」。 朝倉氏は記者会見で、経営陣としての2年弱を振り返った。 非常事態にあったミクシィの経営を任された事のもふれ 「ノーアウト満塁でマウンドを任された投手として、やるべき仕事はやれた。 再生に3年掛かると想定ていたが、1年前倒しで達成できた」 と胸をはった。        新社長となる森田仁基執行役員も 「新たな経営陣とともに1枚岩となって、しっかり舵取りしていく」 と語ったが、明確な成長ビジョンをしましたわけではない。 新体制移行まで時間が有るとはいえ、見切り発車は否めない。        「ぎらついたミクシィを取り戻す」。 朝倉氏の社長昇格の会見でこう宣言したのは、わずか9ヶ月前の昨年5月。 マッキンゼー仕込みの経営手腕を買われ、ミクシィの創業者で前社長の笠原健治会長も 「企業家精神に満ち、1を10に育てる適任者」 と評するなど、ミクシィ再建の切り札として期待されていた。        朝倉氏が取り組んだ3本柱の1つが新規事業の創出だ。 業績回復の立役者となったスマートフォン向けゲームアプリ 「モンスターストライク」 も、社内の打ち合わせルームから生まれた新規事業の1つだ。 お公家集団とまで呼ばれたミクシィにベンチャー精神を取り戻す為、M&Aやりストラにも積極的に取り組んだ。         だが積極的なリストラは思わぬ波紋を呼んだ。 「オレンジのソーシャル会社で、数日前から大規模なリストラが始まっている」。 昨年秋にはこんな情報がネット上で飛ぶ交じったほど。 オレンジをイメージカラーとするミクシィの話として、大きく騒がれた。 再生のためにも大鉈を振るうのは朝倉氏の役目とはいえ、冷静かつ大胆に物事を進める 「プロの経営者」 はミクシィの社風に合わず、疎まれてしまったのかもしれない。        「笠原氏を慕う社員の多いミクシィに中で、朝倉氏は明らかに異質」 との評価は社外からも聞かれる。 再生にためには痛みも必要と危機感を持つ社員がいる一方で、笠原氏が築き上げたミクシィの変化を嫌うそうも少なくからずいただろう。        今回の業績上方修正も、「結婚支援事業の買収やモンスターストライクの成功など、いくつかのラッキーがあった」 と朝倉氏は指摘する。 モンスターストライクを除いた新規事業もまだ未知数だ。 バークレイズ証券の米島慶一アナリストも 「再成長路線の乗れるかは正直疑問もある」 と指摘する。SNSの草分けは再生するのか。 解は見えない。(日経産業新聞)                       ツイートこの記事をつぶやく
       経済産業省は、再生可能エネルギーの固定価格買取制度で、2012年度から発電計画の認定を受けながら発電を始めていない約700件のうち、約670件の認定を取り消す方向で検討に入った。        パネルなどの値下がりを待って不当な利益を得ようとする事業者が多い為。 業者から事情を聞き、悪質と判断すれば3月にも取り消しに踏み切る。        茂木敏充経済産業相は14日の閣議後会見で、発電をはじめようとしない事業者には 「(認定の)取り消しも含めて適切に対応することが必要」 と述べた。        同制度は2012年7月に始まった。 再生可能エネルギーで作った電気を一定価格で得買い取ることを電力会社に義務づけている。 初年度は1キロワット時40円(税抜き)と云う有利な価格が付いた。        太陽光パネルなどは急速に値下がりが進み、経済産業省は毎年の見直しで買い取る価格を引き下げている。 国から早めに発電計画の認定を受け、実際の着工を遅らせれば、その分だけ事業者の得る利益が膨らむ。 これに批判があり、経済産業省が実態調査に乗り出した。        調査によると、2012年度に国から計画の認定を受けながら発電を始めていなのは約4700件。 このうち約570件は発電用の土地・設備のいずれも確保していなかった。 調査に回答しなかった約100件も含めた670件について、認定を取り消しを検討する。 土地と設備のいずれか一方しか準備していない約780件も、8月末までに両方を確保しなければ認定を取り消す方針だ。(日経夕刊)         ツイートこの記事をつぶやく
      マカオでカジノを運営する香港の新濠博亜娯楽(メルコ・クラウン・エンターテイメント)は、フィリピン・マニラの湾岸地区で巨大家事の施設を開業すると発表しました。        名称は 『シティ・オブ・ソリームス・マニラ』 で今夏の開業を目指します。 あまり香などで高級日本食店を展開する久松信幸氏監修の 「ノブ・ホテル」 も併設します。 同ホテルはアジア発進出となります。        カジノ、ホテル、レストランなどの敷地面積は6.2ヘクタールと東京ドーム1.3個分の広さ。 カジノは365台のゲームテーブルのほか、1680台のスロットマシンなどを備えます。 メルコ社のローレンス・ホー最高経営責任者は記者会見で 「日本の人も納得する品質を提供できる。 フィリピンへの日本人観光客も増えるだろう」 と語った。        記者会見には待つひさしのビジネスパートナーである俳優のロバート・デニーロ氏も同席。 今夏に予定される開業セレモニーにも 「できるだけ出席したい」 と述べた。 マニラの湾岸地区では観光立国を目指す政府主導で巨大カジノプロジェクトが進んでいる。(日経MJ)        日本もカジノ解禁してつくるべきだと思うが・・           ツイートこの記事をつぶやく
       業務用洗剤メーカーのディバーシー(横浜)はノロウイルスを除菌できる清掃用除菌洗浄剤を開発しました。 現在主流の除菌剤に比べて床などに与えるダメージや匂いが少なく、除菌と同時に洗浄も出来る。 集団感染の危険性が高い病院や介護施設、保育・幼稚園などで清掃作業の安全性や効率を高められるという。        製品化したのは 『加速化過酸化水素』 と呼ばれる技術うを使った除菌洗浄剤。        過酸化水素に界面活性剤や溶液を配合して、ウイルスや最近への浸透力、殺菌力を高めた。 床やベッド、手術室、トイレなどを洗浄する際に使う。 0.5%の低濃度だが、1分間でインフルエンザやノロウイルスを除菌でき、洗浄も出来る効果も有る。        現在、ノロウイルスの除菌には次亜塩素酸ナトリウムと呼ばれる除菌剤が広く使われている。 コストは安いが、きちんと除菌するには濃度を高める必要があり、木材や金属にダメージを与えたりプールのような塩素臭が出る課題がある。 洗浄能力もなく、別途洗浄作業も必要になる。        ディバーシーでは加速化過酸化水素を使うことでこうした課題を解消できると判断した。 次亜塩素酸ナトリウムに比べてコストは10倍程度になるが、洗浄効率を高められる点を活かし、病院や清掃業者に売り込む。        加速化過酸化水素は既に欧米では広く使われている。 日本でも2013年に学会がガイドラインを改定し、手術と手術の間の清掃で用いている推奨除菌剤に加えている。(日経産業新聞)           ツイートこの記事をつぶやく
             アンドロイド        世界のスマートフォン市場でアメリカ・グーグルが提供する基本ソフト(OS) 『アンドロイド』 の勢いが増している。 2013年にアンドロイドを搭載したスマートフォンのシェアは8割に迫った。 アプリやコンテンツの提供企業は強いOSを優先する傾向が強く、ライバルは対応に迫られそうだ。        IDCの発表によると、2013年のアンドロイドの世界シェアは前年度比9.6ポイント増の78.6%に達した。 アメリカ・アップルの 「iOS」 は同3.5ポイントの減少の15.2%。 2社を合計すると93.8%となり、『2強』 の寡占傾向が一段と強まっている。 マイクロソフトの 「ウインドウズフォン」 は3.3%、カナダのブラックバリーは1.9%にとどまっている。        インタネット広告で圧倒的な強さを誇るグーグルはスマートフォンメーカーにアンドロイドを無償で提供。 消費者がネット広告を視聴する機会を増やすとともに、アプリやコンテンツの販売を拡大してきた。 代々のライバルであるアップルは日米でも其々40%程度のシェアを持つが、中国など新興国のスマートフォン普及がアンドロイドの追い風となっている。         ウインドウズフォンはヨーロッパの一部で社が2ケタに達した。 それでも世界全体では2強との差が開いているのが実情だ。 マイクロソフトは事業のテコ入れのためにウインドウズフォンを採用するフィンランドのノキアら端末事業を近く買収することで基本合意している。 ただマートフォンの生産量は部品の調達に直結する為、ノキアは量の確保に向けてアンドロイドを採用するとの観測も出てきた。        スマートフォンのOSでは韓国のサムソン電子や半導体最大手のアメリカ・インテル、NTTドコモなどが 「TIZEN(タイゼン)」 の開発を進めてきたが、どこもは1月に対応製品の開発の発売を当面見送ると発表しました。 2強の独走態勢が強まるとアプリやコンテンツの確保が一段と難しくなる、「第三のOS」 も戦略の大幅な見直しを迫られる可能性がある。(日経夕刊)                           ツイートこの記事をつぶやく
       消費者の心理分析を、販促や商品開発に生かす動きが広まっている。 アンケート調査やネットの閲覧履歴などのデータを分析して消費者の価値観や完成を推定。 解雇の購買履歴などに頼る従来手法に比べ、消費者の関心ごとをより的確に見通せる。 商品やサービスの内容を一方的に押し付けるのではなく、消費者共感を呼び起こす販促に生かす狙いだ。        「尊敬訴求やキャリア志向がある」 「インドア派手おとなしめ」 「お墨付き重視型」。 性格占いではない。 大日本印刷が今月から始める、消費者の心理分析を利用した販促支援サービスでの、分析の一例だ。 企業広告や電子商取引(EC)サイトの商品推薦、新商品開発工程の改善などに活用する。        大日本印刷は先ず、消費者の心理情報を収めたデータベースを独自に構築。 生活する上での価値観や、商品を購入する際の判断基準、消費者の性格といった要素を類型化した。 心理分析の専門家でないとわからなかった要素を、自動で推定できるようにした。         たとえば価値観は 「ハイクラス至高」 「充実感が希薄である」 「着飾るよりも人並みのおしゃれをしたい」 など、「消費に対する本質的な意識」で類型化。 商品購入の判断基準は 「自分で決定する」 「低価格志向」 「流行に追随」 など、商品を比較検討する際に重視するポイントで分類した。        データベースの作成は、独自に収集・蓄積したデータを活用した。 大日本印刷グループが運営するポイント会員サービス 「エルネ」 の会員1万5000人に毎年調査を実施。 その回答をもとに消費者価値観や商品購入の判断基準を30パターンを類型化した。        サイバーエージャント傘下のマイクロアドも昨年11月、消費者の価値観や閑静の分析結果を加味したインターネット広告の配信事業を始めた。         データベースを独自に構築したのは大日本印刷と同じ。 その作成に当たりマイクロアドは、ニュースサイトやECサイトから膨大な閲覧履歴データを収集した。         同社が保有する履歴データは国内ネット利用者の8割に当たる6500万人分、修理するデータ件数は1日当たり100億件超えといういずれも国内最大規模だ。 新サービスの開始に当たり、新聞の朝刊千数百万年分のデータを格納可能な、日本IBM製の大型コンピューターを日本で始めて導入した。        同じ商品の広告でも、心理分析を加味することで、消費者の価値観のタイプごとにより効果の高いと思われる広告を配信できる。 健康食品ならば、流行に敏感と推定された消費者には 「アンケートで人気第1位」 といった広告を、実利を重視するタイプには効果や効能を前面に押し出したものをそれぞれ配信する。         閲覧履歴のデータを使った消費者分析は既に一般的だが、現在は 「旅行」 「家電」 「グルメ」 など消費者の興味や関心のある分野しか推定できない。 結果として、旅行サイトを見た利用者には同一の旅行関連広告が表示されていた。        心理分析を加味することでよりきめ細かな販促が可能になる。 大日本印刷はある金融機関でカードローンの新規会員を募集するダイレクトメールの改善に堂手法を導入したところ、申し込み率が1.5倍に高まったという。        マイクロアドも化粧品メーカーと家電メーカーの協力を得て新サービスの効果を検証。 既存の消費者分析に基づく広告に比べて、利用者のクリック率を1~2割多かけられることが確かめられた。 同社は広告や販促に加えて、企業の新商品開発にも同手法を応用する考えだ。(日経流津新聞)        ツイートこの記事をつぶやく
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