2014,02,27

“前のめりに行きたい” シンガー・ソングラーター 杉田二郎氏

       今日で3回目になります日経夕刊 「人間発見」 のコーナーにシンガー・ソングライター 杉田二郎氏のインタビュー記事をご紹介します。        高校時代、友人を通じてフォークソングに目覚めた。      立命館高校に入学して驚いたことは、色々な生徒がいること。 親の職業も多岐に及び、サラリーマンの子供が意外と少なく、教員や裁判官、タクシー会社の社長の子供もいれば老舗料亭、センス・うちわ職人の子もいます。 また大阪、志賀はもちろん、奈良県大和郡山市などから通う子や金沢から下宿している子もいる。 自分の行動エリアもドーンと広がった気がしました。      高校2年のある日、山本逸士君、佐竹俊郎君という友達が放課後の教室でギターを弾き始めると、引き込まれました。 「何だ、それ」 と聞くと、アメリカンフォークソングだと言います。 佐竹君はフィギアスケートの選手として大きな大会に出る一方、文化祭でカントリー&ウエスタンやフォークソングを歌う。 音楽好きが彼らのところへ集まりました。 後にアリスが歌ってヒットした 「今はもうだれも」 を作ったのが佐竹君です。      ビートルズは既に存在し、僕もベンチャーズなんかも聴いていました。 佐竹君、山本君から 「二郎も一緒にやらないか」 と誘われ、彼らの家に遊びに行きました。 レコードがいっぱいあるし、ギターも歌も凄く上手い。 面白そうだなと云う気持ちが膨らんでいきました。 将来は教師か新聞記者になろうと思っていましたが、フォークソングが大きなウエートを占めるようになります。 「大学に入ってから考えよう」 と立命館大の法学部と文学部に合格し、日本文学科に進みました。 たぶん、その時点で音楽を取っていたんですね。        大学紛争の嵐の中。 京都はアマチュアフォークの熱気で溢れ、杉田さんも 「自分たちの音楽」 を求めて模索する。      大学ではギターを持った若者が大勢います。 京都御所辺りでは数メートルおきにアマチュアグループが演奏し、人が集まっている。 東京では森山良子さん、マイク真木さんらが学生ながらレコードを出し、大々的にコンサートをやっているとの話も入ってきました。       京都でも学生がグループを束ねてライブを運営する団体がいくつか生まれ、リーダーがはしだのりひこさんでした。 加藤和彦さんや平沼義男さん、北山修さんらがアマチュアのザ・フォーク・クルセダーズ(フォークル)として活動し、解散記念に67年に自主制作したアルバム中の 「帰って来たヨッパライ」 が爆発的にヒットします。      僕も男2人、女性1人のピーター・ポール&マリー(PPM)スタイルのグループ、次に男3人の初代ジローズを結成しました。 いつまでも英語のフォークのコピーでなく、自分たちのオリジナルを歌うと68年 「あなただけに」 「マイ・ハート」 の2曲を作ります。 時代のキーワードは 「ラブ&ピース」 で加速されたいました。 毎日放送の深夜ラジオ番組 「ヤングタウン」 の 「今月の歌」 に 「あなただけ」 を応募すると採用され、東芝からレコードデビューしました。 フォークル解散後、結成された 「はしだのろりひことシューベルツ」 に僕も合流し、「風」 「さすらい人の子守唄」(69年)などのヒットが生まれます。        70年大阪万博のアマチュアフォークの祭典でテーマソングとして作った 「戦争を知らない子供たち」 が反響を呼び、2代目ジローズが歌って大ヒットすると社会現象に。      大阪万博では仲間の一人が事務局にかけ合って、8月23日に 「日本アマチュアフォークソングフェスティバル」 を開催します。 16組の出演者もスタッフも全部アマチュアで、戦後生まれ。 僕はプロなので出演できませんが、テーマソングが必要という事で、北山氏が 「戦争を知らない・・・・」 の歌詞をたたき出してきます。 戦争という言葉を使うことには抵抗があった。 北山氏とは相当議論しました。      万博会場では出演者全員でこの歌を合唱し、ラジオの深夜放送でも流れた。 この年に森下次郎(悦伸)氏と2代目ジローズを結成し、71年2月にリリースすると大ヒットします。 ただあまりにも反響が大きすぎた。 学園祭などで歌うと非難の声が上がる一方、会場でけんかも起きている。 僕も北山氏も傷つきました。 この年、日本レコード大賞作詞賞を受賞しますが、式典に北山氏の姿はなく、ジローズが代わりに出席しました。                       ツイートこの記事をつぶやく