2014,02,25

前のめりに行きたい シンガー・ソングライター 杉田二郎氏

                杉田二郎        今週はシンガー・ソングライターの杉田二郎氏が 「人間発見」 のコーナーにインタビュー記事が掲載されていましたからご紹介します。        戦後生まれの第一世代。 「戦争を知らない子供たち」 「男どうし」 などで知られるシンガー・ソングライターの杉田二郎さん(67)が今年、デビュー47年を迎える。 その杉田さんが昨年秋、初めて病気で仕事に代役を立てたことはあまり知られたいない。      1968年4月、大学生のときにアマチュアの初代ジローズで 「あなただけに」 「マイ・ハート」 でレコードデビューし、47年を迎えます。 しかし、昔からあったのですが、肝臓に水が溜まる肝のう胞が巨大になり、黄疸も出たので昨年9月、イルカさんのラジオ番組出演を断ることになりました。 変わって同じプロダクションの堀内孝雄氏に出てもらったのですが、僕が病気で仕事に穴を開けたのは初めてです。      僕は昔の人間なんだと思いましたね。 団塊世代(47~49年生まれ)の1つ上ですが、待っている人がいると思うと断れない。 昨年12月1日に福岡のライブを終え、12月上旬に本格的に手術しました。 10月以降はお腹に穴を開けて管を通す応急処置を施したまま必死で歌いました。 振り返っても幼い頃、アイスキャンディーにあったて父親と一緒に入院したことがあるくらいで、大きな病気をしたことは無い。 今は少し休憩を頂いていますが、桜が咲く頃には絶好調になる予定です。        同じ46年生まれ、精神科医で作詞家の北山修さんと一緒に作った曲も、「戦争を知らない子供たち」 (70年) を含め、100曲を超えた。      昨年11月の 「きたやまおさむのレクチャー&ミュージック」 では、彼が講演し、僕が歌いました。 彼の話を聞いていると、人間のものの見方、考え方を精神科医としてきちんと分析していることがわかって面白かった。 彼はどこか底辺でつながっているのではと最近良く感じるんです。 彼の父は内科医で、人の命にかかわり職業。 ある日 「ご臨終です」 と言わなければならないこともあったと思う。 一方、私の父は宗教家で、人の死後の世界に関わり、人々の日常の喜怒哀楽を背負うと言う姿を、子供の頃から見て育ちました。      若い頃、散々議論しながら一緒に楽曲を作ってきた2人ですが、「戦争を知らない・・・・」 が大ヒットし、我々世代の代名詞と呼ばれるようになり、賛否両論の反響の大きさを受け止めかねてお互い傷ついたりしました。 しかし、その後も僕の転機の節目節目に、彼がいてくれた気がします。        その北山さんが、杉田さんのデビュー40周年記念アルバムでは、還暦を祝う 「何度でも二十歳(はたち)」 や 「前向きに倒れてみたい」 などを作詞した。      アメリカンフォークに出会い、素人の自分でも思いを歌っていいんだという現実に衝撃を受けて、僕の音楽生活が始まりました。 ある時期から北山氏は精神科医の道を歩みだし、ぼくは 「戦争を知らない・・・・」 の呪縛を逃れるようなタイミングで、父の世界を理解しないことに済まされないと音楽を離れて修行をした時期ある。       その後、ロンドンにいた北山氏を訪ねて、一緒に 「男どうし」 などを作り上げ、帰国後に沖縄のコンサートで会場から 「戦争を知らない・・・・」 の大合唱が起き、僕はやっと呪縛から逃れることができた。 また、年を経るにつれオリジナルにこだわらず、自分の好きな楽曲を歌うボーカリスト、シンガーの道も切り開けました。      今は好きな曲を自由に歌いたい気持ちがふつふつとわいてきます。 しかしながら、僕らも、生まれ来る新しい生命たちも、永遠に 「戦争を知らない子供たち」 であってほしい気持ちでいっぱいです。 自分たちに子供が生まれ、孫もでき、新しい世代に向けたメッセージができました。 「前向きに倒れてみたい」 の歌詞は、「朝目ざめれば 足から腰 痛みが走りぬけて 新聞読めば何もかもが かすんでよく見えないな」 で始まります。 「変わらないのは気持ちだ あの日ままで」・・・・。 そして最後のフレーズは 「ふらつき息が切れても 前向きに倒れてみたい」。 年は取りましたが、ゆっくりと前のめりに歩きたい、と云うのが僕の気持ちです。                        ツイートこの記事をつぶやく