今日で3回目になります。日経夕刊の人間発見のコーナーにセブンーイレブン・ジャパン社長 井坂隆一氏のイッタビュー記事をご紹介します。         就職活動でセブンーイレブン・っジャパンに関心を持つ。      父から上場企業の業績や株価がコンパクトにまとめてある分厚い本を手渡されました。 「これを見て会社選びの参考にしなさい」。 就職活動を控えた1979年夏ごろです。 当時はカタカナの社名が少なかったような気がしました。       証券会社に勤める父とあまり関係のなさそうなメーカーを探して会社訪問のスタートです。 この本はセブンーイレブン・ジャパンは載っていませんでした。 非上場会社だったからです。 でも、何か気になっていました。 まだ生鮮食品は置いておらず、若い人が好みそうなファストフーズ、飲料、お菓子、おつまみなどが綺麗に並んでいます。 いつの間にか家に近くに 「セブンイレブン」 の看板を掲げる店が数点できました。      こんな小さなお店の集積が新しい産業になるかもしれないと、おぼろげながら思いました。 興味がわいて調べてみると、スーパーのような直営店方式ではなく、フランチャイズチェーン方式による出店方式であることも知り、「こんなやり方があるんだ」 と感心したことを覚えています。       上場会社でもないし、父の仕事とは相当離れていることもひかれましたね。 東京の千代田区三番町にあるセブンイレブンの本社(当時)で面接を受けて何とか内定を貰い、父に報告すると 「ああ、もう直ぐ上場する会社だ」 と。 確かにセブンイレブンはその年10月に東京証券取引所第2部に上場予定でした。 当時としては創業から上場までの最短記録を更新したことが話題になっていました。        担当した福島県の店舗で仕事の意義を知る。      入社すると数年間は店舗運営に携わります。 入社した年(80年)の12月、東北地方は市民生活に支障をきたす穂での大雪に見舞われました。 有名なクリスマス豪雪です。 セブンイレブンでもおにぎりやお弁当などを絶やさないように関東地区からも商品を運び臨戦態勢です。 いつもなら、私たちがお客様に対して 「ありがとうございます」 と接客しますが、こうした状況では逆になるのです。 「ありがとう 助かった」 お客様からそう声をかけていただき、初めて小売業に携わる喜びを実感しました。 新人時代の貴重な体験です。       仕事にも熱が入ったのは言うまでもありません。 ところが大半の同時社員が店舗研修を終えて、店舗の経営相談員の研修を受けているのに自分はまだその段階にいけなかったのです。 理由は帳簿上の在庫と店頭にある在庫が一致しなかったからです。 「品減り」 と呼ばれ、店舗から発注した商品が正確に店舗に届けられたか検品体制が充分でなかったり、清算時も正確にレジ打ちが出来ていなかったりしたことが理由です。       24時間営業の店には20人ほどが入れ替わりで働いています。 全員に逸品逸品を大切に管理する店舗運営の仕方を理解してもらわないと 「品減り」 は解消されません。 セブンイレブンやイトーヨーカ堂には 「単品管理」 という言葉が有り、その大切さを痛感しました。       勤務していた 「セブンイレブン虎丸店」 (福島県郡山市)はセブンイレブンが本家区的に24時間営業を開始したお店です。 最終のバスの時刻をスギ、ヒット小一人いない場所でしたが真夜中でも自転車や自動車で買い物に来て、24時間営業が日本でも受け入れられることを教えてくれた歴史的な店舗です。        仙台地区で新規出店の担当になる。      なんと 「品減り」 がなくなり、次のステップに進めました。 しばらくすると仙台地区に進出することが決まり、そのメンバーとして仙台常駐です。 ビジネスホテルに長期予約を入れました。 ところが商品陳列に始まり、従業員の教育など目の回るような忙しさです。 1店が順調に立ち上がると次の新店の立ち上げが待っています。 2ヶ月ほどそんなダンボール生活が続いたでしょうか。 今では有り得ない働き方ですが、懐かしい重いです。      只東日本大震災で被災した店舗に中には自分がお手伝い店も含まれていて心が痛みました。                          ツイートこの記事をつぶやく