2012,02,10

福島第2原発も「あわや炉心溶融」だった 「紙一重」で避けられた理由。

       実は福島第2原発も、「紙一重」 で第1原発と同じ事態に陥るところだった。 第1原発では、炉心溶融や原子炉建屋の水素爆発に至り、今も多くの周辺住民らが避難生活を余儀なくされている。        いったい何が第2原発と第1原発とを分けたのか。 事故発生当時からの責任者が報道陣にあらためて説明した。                    炉心溶融        福島県の楢葉町と富岡町にまたがる福島第2原発が2012年2月8日、震災後初めて報道陣に公開された。 第1原発から南に約12キロ離れている。当時から現場で指揮を続けている増田尚宏所長は、記者らに 「福島第1原発ほど状態がひどくならなかったが、紙一重だったと思う」 と振り返った。          事故発生当時の第2原発と第1原発の状況の違いは、次のようなものだった。          震災発生は2011年3月11日15時前。第1原発ではほどなく、津波被害のため 「全電源喪失」 が確認された。 夜には原子力災害緊急事態の宣言が出され、半径3キロ以内の住民に避難指示が出された。 避難エリアは後に拡大する。          第2原発でも翌12日に緊急事態が宣言され、はじめ半径3キロ、ほどなく半径10キロの住民に避難指示が出た。          第2原発では1~4号機の4基とも運転中だったが自動停止した。 3号機を除いて冷却機能が一時、失われた。 しかし、3月14日には1、2号機が冷温停止(100度以下で安定的に管理)状態になり、15日朝には第2原発すべての 「冷温停止」 が発表され、「事なきを得た」 形だ。          一方、第1原発では3月12日に1号機原子炉建屋が水素爆発し、14日に3号機建屋でも爆発が起きた。 陸上自衛隊のヘリコプターによる空からの放水が始まったのは17日だ。 以降も緊迫した状態が続いた。 第1原発に 「冷温停止状態の達成」 が宣言されたのは、半年以上経った12月に入ってからだ。            こうした大きな違いについて2012年2月8日に報道陣へ説明した増田所長によると、決定的な差は 「電源」 の有無にあったことがあらためて浮き彫りになった。          「全電源喪失」 に至った第1原発とは異なり、第2原発では、4系統ある外部電源のうち1系統が 「生き残った」。 3、4号機の非常用電源も一部残った。          このため、原子炉内の様々な数値データの確認が可能となり、必要な対策を考えることができたし、冷却のための注水作業もできた。 さらに、限られた電源をほかに回すため、仮設電源ケーブルを突貫工事で設置することもできた。          この 「突貫工事」 についても、増田所長は、震災発生が平日の日中だった 「偶然」 を指摘した。 当時働いていた約2000人が手分けして復旧にあたったが、夜間や土日であれば所員は当直などの約40人だけで、初動に大きな遅れが出たのは間違いない、というわけだ。          なぜ電源が1系統生き残ったのか。 第1原発では13メートルともされる津波の高さが、第2原発では9メートルとみられ、低かったことなどが影響したようだ。          電源の状況をめぐる両原発の違いはすでに明らかになっていたが、今回改めて増田所長が 「紙一重だった」 と振り返ったことで、当時の緊迫した状況が再認識された形だ。          増田所長は2012年2月8日、「従業員とともに、いち早い復旧のために力を尽くしていきたい」 と話していた。 (j-cast.com)                ツイートこの記事をつぶやく