2011,12,03

「俳句は人生を昇華する」  俳人  黛まどか氏

     日経新聞夕刊 「人間発見」 に黛まどか氏が紹介されてきて5回目。 本日が最終回の紹介となります。          10月末、岩手県岩泉町を訪れ、句会を開いた。 4月の訪問以来、行くたびか被災地を訪れたが、岩泉は半年ぶりだった。          111203_132611    再開でした。 4月に 「何もかもなくなっていまはむしろ清々しい」 と言っていたおばあちゃんが 「今だから言えるけれども、当初は本当に俳句でエールが送れるのか、半信半疑だった」 というのです。 でもチラシに有った拙句 (満開の桜は明日を疑わず) を読んで 「にわかに生きる勇気がわきました」 と言ってくれました。      俳句は短いだけに直接響き、一瞬にして心の向きを変えられる。 「がんばってね、つらいのはあなただけではない」 と言葉を尽くしても、引きこもりや病気の人の心に向きを変えることは難しい。 俳句は直接的なことは言わないけれど、それゆえに本人が自分の意思で心の向きを変えられる、と再確認しました。      仮設住宅に住んでいるおばあちゃんたちに 「今何が必要ですか」 と聞いたんです。 顔を見合わせて 「何もないわね」 「満ち足りている」。 「亡くなった方々には申し訳ないけど、私たちが津波に教えられた。 この年で大事なことを教えてもらってありがたい」 とも。 前を向いているんです。      「身一つとなりて薫風ありしかな」 を詠まれた方とお会いできたのも感動的でした。 句の通りの方で、爽やかで力強く、俳句は人を表すと感じました。 この句は被災者でない人までも励まし、生きる勇気を与えました。              「フクシマの歌」 取り組む一方、被災地で詠まれた兵句を英語、フランス語での出版など国際発信に心を砕く。 「余白の文学」 である俳句の国際化には課題も。          現在、作曲家の千住明さんと福島の応援歌を作っています。 放射能汚染のために離散している福島の人たちの心が一つになるような、また世界中の人たちに福島の本来の美しさと豊かさを伝えることが出来るような歌にしたいと思っています。      来春、被災地で詠まれた俳句をまとめて刊行する予定ですが、英語圏、フランス語圏でも出版する企画を進めています。 いかなる惨状に有っても自然を尊ぶ心と詩を読むことを忘れない日本人の美徳を、俳句を通して世界に伝えたいと思っています。      俳句の国際化には、くどうようですが、有季定型の型が大事だと思います。 大きな意味で自然詩であり、もうひとつは定型です。 日本語の五七五に近い情報量で英語、フランス語それぞれの国の言葉で心地よいリズムがあり、韻を踏むとか頭韻を踏むとか統一のルールを作らないといけません。      自然を尊び、小さなすみれでも命の輝きを詠む。 型があるからこそ、余白が生まれる。 文字になってもいない、文学の周辺にもある物、実態の背後に有る見えないもの、余白に有るものを察して、感受していく。      察すること、他者をと尊ぶことは、世界が抱える諸問題、環境問題や紛争などの解決の糸口にもなりうる。 それは日本の文化力でしから、世界に向かって強調していくべきだと思うんです。            俳人にとって最も大切なのは俳句を作ること。          自分の俳句を精進していきたいと思っています。 俳句に出会ってよかったのは、どんなことでもプラスに転じていることです。      病気や苦しい経験を通して心のひだが増える。 感受性も豊かになる。 苦労が無駄に終わらない。 どんなことでも避けずに失敗を恐れずにやっていこうと思える。      俳句は難しいです。 教養があれば出来るというものでもないし、感性が有っても言葉に結実しなければ俳句にならない。 俳句はひたすら修練だと思います。      鈴木真砂女さんは俳句と二人三脚で生きたとおっしゃっていますが、そのくらいののっぴきならない関係にならないと、なかなか手に負えない。 俳句を始めて22年、気がつけば私も、俳句なしでは生きていけないくらい、のっぴきならない関係になりました。        <革命記念日地下鉄を乗り継いで>        と、最終回の紹介でした。                 ツイートこの記事をつぶやく