2011,11,14

「悲しみに寄り添う小説」  作家  伊集院静氏

       今日の日経夕刊の 「人間発見」 のコーナーは作家の伊集院静氏の登場です。                「いねむり先生」 「なぎさホテル」 「作家の遊び方」--。 著作が次々に出版され、話題を集めた作家伊集院静さん(61)。 35万部のベストセラーになったエッセー 「大人の流儀」 では大人の男の本音をズバリ書いて、若者を叱咤激励している。          怒られるのが快感です。 なんて話を聞くと、勝手なものだなと思います。 何も特別なことを言っているつもりはない。 大体父親が肩身の狭い世の中というのが良くない。 一家の長と子供の夜のおかずが一緒ではまずい。 母親はは子供のためなら命をかけてもというけれど、それは当たり前のこと。 でも甘やかしたらいけない。 我慢を覚えさせないと。 私の家では父親と私たちの料理は違った。 おやじは一番働いていたし、いざとなれば家族を守れる。 それが当たり前だと思っていました。       私の父は13歳で朝鮮半島から日本に来て職業を転々としながら一代で事業を起こしました。 母も向こうで生まれ、日本で育った人です。 両親から良く言われたのは、お前は半島から来た親の子供だから、日本人よりも礼儀正しくなければならない、向こうの人は駄目だと言われないようにしなくてはならない、ということでした。 子供の頃、母と電車に乗った時、それまで普通に話していた母が急に小声になった。 母は公共ののりものでは大声を出したらいけないことぉみを持って私に示そうとしたのです。 これは一例ですが、私の考え方の根底には幼いころの両親の教えが有ると思います。              女優の妻、篠ひろ子さんの出身地、仙台に住む。 東日本大震災に遭い、被災者の一人として積極的に発言する。          ある日は仕事を始めようと思ったときに揺れがきた。 電気、ガス、水道が全部止まり、あっという間に夜が来た。 民家の明かりが消えたせいか、星がものすごくきれいでした。 人々が助けを求めている時なんでこんなに美しいのか。 神も仏もないじゃないかと言ったら、クリスチャンの妻が 「神様は何もしてくれないかもしれないが、どんな時もそばにいてくれる」 と言うんです。 そうか、そばにいてくれるだけでいいのかと教えられました。      私は自分で経験したから、よく分かるのですが、大きな悲しみに出会った人間は声をかけてもらったり、寄り添ってもらいたいものなのです。 東日本大震災で政府の対応が稚拙だと言われた。 色々ありますが、一つ言うと、なぜ政府はすぐに現地に復興本部を作らなかったのか。 政治家が東京からたまにやってきて 「頑張ってください」 では被災者に思いは伝わらない。 物事も敏速に進まない。 近くに本部が有れば、ちゃんとやってくれるという安心するんです。              女優の妻を失った男を主人公にした小説 「いねむり先生」 は絶望からの再生がテーマ。          この作品は前妻の夏目雅子さんを骨髄性白血病で失い、アルコール依存症になっていたころの体験がベースになっています。 209日間の入院中、私はずっと病院で彼女と一緒にいました。 必ず生還させるんだと思っていたから、亡くなった後は心に空白ができ、途方に暮れるという言葉の意味が初めて分かった。 どこかへ行ったらいいのか、何をしたらいいのか全く分からなかったものです。      今回の震災でもそういう人たちが大勢いるでしょう。 両親を失った少女が顔を洗う時、横でちゃんと吹きなさいと叱ってくれた母親はもういない。 これまではちょっとうっとうしいと思っていたかもしれないが、それが聞けなくなって初めて、少女は母親の叱る声が自分の生きていく多くな柱だったと気づくのです。       悲しみを和らげてくれるのは時間しかない。 でも悲しみが有るから、人は酔ったり、歌ったりしたとき、心から笑うことができる。 生きるということは悲しみそのもの。 でも悲しみを経験すると、人間には本当の優しさが身に付く。 そして悲しみにも終わりがやってくる。 小説は人の人生を変えることはできない。 でも読者の悲しみに寄り添うことはできる。 そんな作品を一つでも多く書いていきたいと思っています。          体験した人の話ってなんとなく説得力がある!?                    ツイートこの記事をつぶやく