日経夕刊 「人間発見」 のコーナーに平田牧場社長 新田嘉七氏の紹介が今日で2回目になります。            日本有数の米どころ荘内地方で代々続く農家の長男として生まれました。 小学校に入る時、父嘉一さんが養豚業を本格的に手掛け始めました。 幼いころから豚は身近な存在だった。          私の家はもともと米作り農家で16代目の父が畜産業に転じました。 ある時父が大学の先生に 「これからの農業はどうしたらよいとお考えですか」 と尋ねたら、「人々の生活が豊かになってくれれば、食料の中心はたんぱく質になってくる」 と言われたのが、きっかけだったのです。 わずか2頭の豚による日本一の豚の肉づくりを目指す養豚事業の始まりでした。      私がちょうど小学校に入学したとき、当時の平田 (山形県酒田市) で父が仲間の青年養豚家と共同の養豚場をつくり、豚肉の商品開発や販路開拓に乗り出しました。 それが 「平田牧場」 のスタートです。 その後、肉質の良い豚づくりに取り組みながら、少しずつ飼育頭数も増えていきました。 寝食を共にして豚を育てる父の背中を見て育ちました。 小さい頃は、牛や豚、鶏、ヤギなどに囲まれた生活。 牛の餌やりをするなど、まさに家畜とともに過ごす生活でした。 家業を手伝う母の車で配達にもついていったことを覚えています。      豚が非常に身近な存在とはいっても、小学生の頃は大事な商品である豚が食卓に乗ることはありませんでした。 我が家で豚を食べるようになったのは、中学生になってからでした。      高校時代は、自動車の設計技師や公認会計士などに漠然と憧れていました。 でも成城大学経済学部に入学するときは 「大学を出たら家業を継ぐ」 と考えるようになっていました。            学生時代、ゴルフのサークル活動をしたのも、会社に入ってからの将来を考えてのことだった。          大学のサークル活動にゴルフを選んだのは、父から 「ゴルフも仕事のうち、取引先との付き合いには必要だ」 と言われたからです。 大学の同好会でしたが、打ち込んで練習したのでハンディはシングルになりました。      大学に通う傍から、会社の仕事も手伝いました。 主には、上京した父の運転手として得意先回りについていくことでした。 父を通して仕事を実践的に学び、得意先と顔をつなぐことができたと思います。 経営者の先輩で、今も地域の経済、社会、文化活動に力を入れる父とはいろいろ話す機会も多く、学ぶ点も少なくありません。       卒業する時、父から 「ハム・ソーセージ作りの先進地であるドイツで、数年間勉強してきたらどうか」 と言われました。 でも当時、平田牧場は生活クラブ生協との産直が動き始め、豚肉の加工場が稼働するなど成長途上にありました。      「少しでも早く戦力として役立ちたい」 との思いから卒業と同時に平田牧場に入社。 入社後すぐに千葉県にある食肉学校に学びに行きました。            千葉県柏市にあった食肉学校に入学して、半年間、肉に関する様々な分野の理論と実践をみっちりと学んだ。          会社から派遣の形で入学した食肉学校は、大手畜産メーカーが設立した学校で、全寮制。 同級生には肉関係の専門店や牧場の後継者もいれば、スーパーのバイヤーもいる。 出身も年齢も多彩なメンバーが集団生活をしながら学ぶ日々でした。      相部屋の二段ベッドで寝起きし、朝5時半に起きて体操やランニング。 朝食後は牛や豚、鶏、マトンと4種の肉の勉強や、肉の処理方法の実技を学ぶ日々でした。 肉に関する勉強だけでなく、簿記から衛生学まで関連する幅広い分野の知識もしっかり身につけることも出来ました。 販売士の資格を取得したのもこの時です。      休みは日曜日の週1日だけ。 睡眠時間は平均して5時間ほどという厳しくも楽しい寮生活でしたが、大学時代には決して体験することのできない、様々な社会勉強も出来ました。 私のこれまでの人生で、あれほど必死に学んだ時はなかったと思います。 当時、苦楽を共にした学友とは、今でも折に触れ情報交換をしています。        と、2回目は紹介されています。        父の嘉一氏はカンブリヤ宮殿に出演したときその時のことはこちらから。                  ツイートこの記事をつぶやく
        孫さん回答        「最近ここ2、3週間ほど前から、iPhoneが今まで以上に快適になったように感じておりますが、(実際測定数値も大幅にあがっています)何かリミットを解放したとか、そういうった措置はされましたでしょうか?(大阪市内)」 とのTwitter読者の発言に対して、孫正義氏は 『はい。まだまだ頑張ります。』 とつぶやいた。        このつぶやきに対して、下記のコメントが寄せられている。      「こんばんわ。こちらも山口県山口市内で久々に速度計測したら、4M出ました。ちなみにSなしのiPhone4です。」      「いやwここ最近繋がりにくいと言うかすぐ切れるようになったんですけどwww」      「質問の答えになってねぇ」      「ぼくは、3GSつかいで、ios5にあげました。したら、いぜんより重たくなりました~涙。同じ大阪です。もう、週末にガラ携にかえることにしました。」      「では今まではリミットかけていたということでしょうか?」      「長らくSoftBankを使わせていただいてます。 ひとつ疑問があるのですが、UltraWi-Fiのメインエリアは動画など重たいストリーミングの規制がかかっているようですが、トラフィック防止の手段だとしても購入時に店頭説明すべきではないでしょうか?」      「孫さん突然ですいません。  今月からメトロ内で 携帯繋がり安くなる話しどっかでツィートしてなかったですか? 変更ありましたか?」      「いやむしろ4S発売してから、電波あるのにまったく繋がらない時間帯があります。 特に19時代。 回線混雑は分かりますけど、ちょっとひどすぎるので早くどうにかして欲しいです。 お願いしますよ!」        厳しい意見もあるが、改善されたとの声もある。  (itlifehack.jp)                  ツイートこの記事をつぶやく
                    スカイマーク        格安航空会社(LCC)が躍進を続けるなか、スカイマークが新規就航させたばかりの路線で、トラブルが起こっていたことがわかった。 通常、機材トラブルなどの航空会社が原因で欠航する場合、払い戻したり、他の航空会社や鉄道などに振り替えたりという対応が一般的だが、この路線は振り替えの対象外。さらに、この欠航の理由が、パイロットのミスというお粗末なものだった。          問題が指摘されているのは、成田発新千歳行きのスカイマーク877便。 この路線は10月30日に就航したばかりで、最も安い運賃に980円という破格の運賃を設定したことで話題になった。        だが、就航からわずか1週間がたった11月5日の877便は欠航になってしまった。このときの対応に不満が集まっている。            スカイマークのウェブサイトには、機材故障など同社の都合で飛行機の運航が出来なくなった際の対応のひとつとして、「スカイマークが選択する当社便、他社便、またはその他輸送機関への振替」 とある。 ここまでは、日本航空(JAL)や全日空(ANA)が掲げている方針と同じだ。 だが、今回欠航になった成田便については 「但し、成田発着便は他社便、その他輸送機関への振替はいたしません」 と、例外規定が設けてある。 実際にこの規定が適用されることになってしまった形だ。          具体的には、スカイマークの成田ーー新千歳便は1日1往復しかないため、同社便に振り替えるにしても翌日以降。同社の割引運賃でチケットを購入したが「時間に余裕がない」という乗客は、一度チケットを払い戻した上で、JALやANAのチケットを買い直さざるを得なかった。            スカイマークの広報担当では、この規定が出来た理由については 「既存の乗り入れ空港とは運用の方法が違うため」 と説明。 「運用」 とは、チェックインから搭乗するまでの一連の流れを指すのだという。さらに、当面、この条項が変わる予定はないという。        また、スカイマークでは、欠航の理由を「機材点検」とのみ説明していたが、この「点検」に至るまでが、実にお粗末なものだった。            国土交通省の航空事業安全室によると、877便はゲートを出発後、誘導路から滑走路に移動する途中で進路を間違え、誘導灯の電源ケーブルに乗り上げた。 この影響で、タイヤがこすれたため、点検のためにゲートまで引き返したという。           つまり、乗客からすれば 「一度出発したにもかかわらず、パイロットのミスが原因で飛行機から降ろされて欠航になった 」という形で、この点も乗客の不満を増幅させたとみられる。 (j-cast.com)         ツイートこの記事をつぶやく