地方 ”独立” 宣言 第一弾。 平田牧場創業者平田嘉一の登場です。  その誓いは、「日本一美味い豚」を作る。  男は、巨大企業と決別。 「販売」の革命、生産者を踏みにじったやり方だった。 そして、巨万の富は地元に還元、ジリ貧の町を生き返らせた。日本の畜産王が、吠える。地方は今こそ「独立」せよ!!と番組は始まりました。 小池さん 「何で、平田牧場なんですか?」 新田 「生まれたところが平田という地名。生まれたところを残したい。と名づけた」 090906_131934 =========== 平田牧場の豚肉は美味しいというブランドを確立しましたが、50年の戦いの歴史があり生産者はどうあるべきか?  平田牧場は、山形県酒田市にある。  三元豚は、なぜ美味いのか? 靴の消毒して浴室で体を洗い服からパンツまで履き替えて豚舎へ。生産部長の芝田さん 「病気は全て人間が持ってくるから徹底した管理」  1ヶ月で免疫が出来て広い豚舎へ移しストレスが出ないフカフカの寝床が美味しい肉質を作る。 餌は、遺伝子組み換え穀物や肉骨粉は不使用。通常の豚より20日以上もかけてゆっくり育てることで抜群の脂の乗りになる。 =========== 新田は、1933年に地主の家に生まれた。しかし、戦後の農地解放で一変家は没落した。  父親に “これからはの食事はたんぱく質中心になる。稲作を止めて畜産業をやろう” 提案したが、父はこれに激怒。勘当同然になった。  そして、豚2頭を購入。 “日本一の美味い豚を作ってやる” と誓った。  40年前に建った豚舎に大事にしている豚それは黒豚。  新田は、「お金いくら出しても売らない」  「100億円でも?」のスタッフの問いにも 「売らない。ないもの」 この黒豚が、味を決めている豚なのだ。日本一の豚肉を作ると決めた新田は、世界の豚を買って交配を繰り返した。  世界を駆け回って見つけ出したのが絶品豚の三元豚。 =========== スタジオ、 小池さん 「黒豚100億円でも売らない?」 新田 「島津藩がさつまいもで200年かけて出来たのが黒豚バークシャーなんです。 平田牧場には何百頭もいる。 30年前は、どうでも良いから持って行ってくれと、将来、黒豚の価値が上がることなど分からなかった。 トラックに詰めて持ってきた」 村上 「豚舎が綺麗でしたが?」 新田 「豚はものすごく病気に弱く、一晩で全滅することがある。豚は、清潔にしておかないといけない。安心してすごせるようにする」 新田は、さらに私の育ったのは戦前、戦中、戦後で何も無かった。 水しかなかった。と。 村上 「そいう記憶は何にか影響します?」 新田 「高校時代ある先生が、“日本にも将来、エンゲル係数が下がって美味しい食べ物を食べる時代がくる”と、と言った。これが一番ヒントになった。 父親は最後まで反対だった。 村上、米作りが農業の命?の問いに 「そういう考え方が強かった。私は最初から農業やって貧しい生活はやりたくなかった。 一旦決めれば妥協できない」 ここで、金言 「一度決めたら妥協するな」 ========== 酒田市で観光客が殺到するところがある。それは、平田牧場の直売所 平田牧場の肉は普通のスーパーには流通していないのだ。 1976年 新田はあることで悩めていた。 それは、大手スーパー ダイエーからの要求。 “これだけ仕入れているんだから安くしてもらわないと” 最初は、肉を評価していたが、値下げの要求ばかりになりでついに決断をする。  “ダイエーとの取引は、明日から全部やめる”  新田は、ダイエーの考え方が許されなかった。 ダイエーは、豚の生産者は、沢山いる。あんたが品物を出さなくても他があるから心配要らないと言われた。もの凄く生産者を踏みにじったやり方だった。(この辺が買ってやるといった上目線の驕った考え方なんですね。ダイエーは、後々大変なことになるなんてこの時は分からなかったんだろうけど。ダイエー中内さんの創業の理念は違っていたんだろうけど。驕れる者久しからずですね。ダイエーさん) 良いのもにはコストがかかるんです。それを理解して販売してくれる流通は日本にはなかった。今でも無いと思うよ と、新田。   さあ・・・これからどうする新田。 (続きを読む…) ツイートこの記事をつぶやく
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石川遼、堂々の優勝です。 飛距離が、最大のアドバンテージですね! 石川遼、ドライバーショット320ヤードぐらい飛びます。 これだと、パー5を2オン出来てイーグルやバーディーを狙えて確実にスコアメイク出来ます。 ゴルフは、やっぱり飛距離かなぁ!?

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