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これも、裏メニューの「ゴウヤチャンプル」ゴウヤのスライスが、厚い!?まあー、裏メニューだから仕方が無いか(。。;)

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で、飲みニケーション。 「カズマサ君、美味しい(^〜^)物出さないと帰るよ!」と、オーダーしたのが、「茄子を、豚肉をピリ辛に炒めてくれる!?」と、出て来たのがこれオリジナル料理。 我が儘言って裏メニュー「茄子と豚肉のピリ辛炒め」ちょっと、茄子が、厚切りだけど、“ピリッと辛くて美味い(*^-゜)v

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2009,08,18

謎解き5番勝負

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毎度お馴染みの謎解き5番勝負です。 今日は、比較的に簡単です。

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今回のルビコンの決断は、パナソニック創業者 松下幸之助氏の登場です。 番組の木村さん 昭和20年終戦。 戦争で全てを失った。 日本人に豊かな生活と夢を持っていた。その男こそ松下幸之助。  今、何故、松下幸之助なのか? と、番組は始まりました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 門真市の本社に眠っていた貴重な資料を発掘。そこには、松下幸之助の映像「そういう時こそ初めて決心がつきますし思い切ったことも出来ます。困難ときこそ大きな発掘がある」 そこには、物作りの原点がある。 戦争には負けたが、日本人の魂は負けたわけではない。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 昭和20年 日本が無条件降伏した時、松下幸之助は51歳。 幹部社員と玉音放送を聴いていた。  幸之助は、小学校4年生で中退して9歳で火鉢店に丁稚奉公に出て23歳で松下電器器具製作所を設立。自転車用ランプを開発、アタッチメントプラグ等を作って順調に発展。  戦時中は、作ったことの無い飛行機を作らさせていた。 幸之助は「戦争は終わった。敗戦は悔しい。だが、立ち止まっている訳にはいかない。生活必需品の生産に全力を尽くすんだ。 それこそ、我々の使命や」と、早速、ラジオなどの生活必需品を作り始める。  社員は、2万5千人から1万5千人に減ってはいたが、皆再起に掛けていた。  しかし、思わぬ事態に見舞われた。  それは、GHQの財閥解体の政策の下制限会社に指定され公職を追放され会社の存亡の危機になった。  すぐさま、GHQに出向き “木製の物を作っただけだ。 もっと調べてくれ。” ここで引き下がるわけにはいかなかった。  しかし、GHQは冷たく公職を追放になり経営に携わることは出来なくなる。  当時の常務の高橋荒太郎が会社を支えていた。  幸之助は、会社を残すためにGHQに50回も往復して復職の要求したが通じなかった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ そのころ労働組合が、会社幹部を追放しろとの要求がされていたが、松下の組合員は、驚くべき行動に出たのです。  それは、幸之助の追放解除の嘆願書を窓口であった外務省に提出。  そこには、8000人以上の署名と販売店の店主の署名もあった。  外務省の窓口の職員は、「戦後、日本人同士が誹謗中傷し合っていたが、こんなことをされたのは初めてだ」 と驚き、出来るだけのことをすると約束してくれる。  ついに、公職追放が解除さる。  幸之助 「もどってこれたなー」 社員 「社主、おめでとうございます。引っ張って下さい」 幸之助 「君達が東京まで嘆願に行ってくれたんやな。 ありがとう おおきに」 ここで、決意を新たにして早速アメリカに視察に行きその後、松下を大きく変える事になる。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ここで、一橋大学教授 米倉誠一郎氏が登場。  松下幸之助が、行った改革は、 1933年 事業部制 1934年 店員保養所 1937年 健康保険組合 1965年 週休2日制  1966年 仕事別賃金制 と、まずは、人を大事にする。 長期雇用をする。戦後の基本的な原型を作った人。 日本的年功序列以外に “やる気を出す制度” を作ったと評価。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (続きを読む…) ツイートこの記事をつぶやく
エチカの鏡に、伝説の女講師平林都(ひらばやしみやこ)が再度取材されていました。 今回は、第2弾です。 第1回目(合わせて読む) の反響が凄く以前より130社以上の研修の依頼が殺到しているという。 “この平林都の「接遇」 素晴らしいです” 『ボコボコ』にしてみます。と、言い放って登場。 前回の「接遇」 ①  人とは違う挨拶 ②  歯を出して笑顔 ③  相槌には「。」 ④  お願いは疑問文 ⑤  Oラインから出るな でした。 さて、今回、平林都が新たに選んだ企業は、函館のあるお菓子メーカー。  そこで、スッタフとの待ち合わせは、函館空港。  移動中にスタッフからの近況を尋ねられると、「凄い反響で、130~140社が増えて14社が出版社。 ファンですという手紙を沢山貰い、あなたの母親より年上じゃないですか?  ちょっと違うんじゃないかなー」  すると、スッタフから 「先生のお歳は?」  平林 「いや いや いや・・・・ストップ ストップ  そんなの、接遇違反、それ以外何でも聞いて下さい」 と笑顔。   何故、ケーキ屋さんを選んだか?聞くと、「オーナーの迫力に圧倒され真剣だった。真剣な方が好きだから企業が大きい小さいは関係ない」 と。 社長と面談、平林の要望「命掛けて接遇を指導します。泣いたりわめいたりすると思いますが “ちょっと、やり過ぎじゃないか?” ということが有るかもそれはご勘弁を宜しいでしょうか?」  社長 「はい」  平林 「こういうところを強化して欲しいところは?」  社長 「仕事に誇りを持って欲しい。一歩出て行く仕事のスタンスを持って欲しい」 と要望。 ここは、強化して欲しい要望は、 ①  仕事の誇りを持つ ②  先般的な接遇力の向上 ③  早期退職の多い女性社員の意識改革 幹部の研修が始まる。 その挨拶で平林、 「笑みを浮かべて棘を刺すと言われていますが、ここの所、釘を刺すといわれています。その心づもりで。  どんな企業も“接遇”を取り入れない所は無いでしょう。 真心対応、気配り対応は掃いて捨てるほど言っています。 “接遇”はここまでやるか? 徹底してやるかと思った時はリピターが足を運んでくれる。 “接遇” に差が無ければ1円でも安い方に足を運ぶ」 「接遇」 が客をもてなす態度や言葉使いが企業に利益を生み出すという。 学ぶ事は、 (続きを読む…) ツイートこの記事をつぶやく