090724_174237                 日経夕刊より アメリカ女子ゴルフツアーに組み込まれているエビアン・マスターズが、フランス南東部アビアンのアビアン・マスターズGCで第1ラウンドが行われて宮里愛と上田桃子が共に3アンダーの69をマークして2打差の8位で好発進しました。 日本人の優勝を祈っていますよ!!   ツイートこの記事をつぶやく
2009,07,24

奄美諸島文化

昨夜、飲みニケーションでのM氏との会話で奄美大島諸島は独特の文化が有った云々との話題になってちょっと調べてみると。   奄美諸島の歴史は、人の痕跡は、30,000年前のものと推定されるアマングスク遺跡で、西南諸島最古級の遺跡が有ったようです。   ヤマトや琉球とは、縄文時代、弥生時代、古墳時代だどを通じて活発な交流が行われていて、夜光貝などは螺鈿の原料として、貴重な交易品だったようです。  マツノト遺跡や小湊フワガネク遺跡などでは螺鈿原料の加工跡の発見や開元通宝も出土しており商人との交易が行われていた証拠とされています。   奄美は400年、ヤマトでもなく、琉球でもないという二重の疎外にあって自分を語る言葉をを持っていない失語状態だったようで遺跡や伝承、そして諸島の歴史書によって様子を伺うことが出来るようです。 1609年に薩摩の嶋津氏は約三千の軍勢を当時琉球王国の判図だった奄美諸島に送り、奄美大島、徳之島で激しい戦闘があったものの、薩摩軍は奄美を制圧。 沖縄本島の王府の首理を占拠。 その後、薩摩藩は明治維新まで奄美諸島を直轄支配地として、琉球王国を存続させて間接支配をしていた沖縄本島以南とは分離した。  大島や徳之島などはサトウキビの単一栽培と製品である黒糖の上納制度を導入。  薩摩藩は黒糖収入で明治維新の立役者となる資金的な基盤となったといわれています。  その一方、奄美社会では藩の郷士格を持つ中間支配層が生まれ、重い年貢負担あえぐそれ以外の島民との間で階層分化が進むことになったようです。  現在でも奄美諸島では行政面では鹿児島県に帰属するが、言語や民族の点では沖縄と共通する部分が多いようです。  ただ、その度合いは島や集落ごとの様々。  (続きを読む…) ツイートこの記事をつぶやく
友人のM氏が、以前より私のblogに登場する 「かぶき」 に「行きたい!!!!!!!!!」 とのリクエストにお答えして二連チャンで飲みニケーションです。   090723_1808171           まずは、お造りからスタートです。 “いわし” “かんぱち” “かつお”   「カズマサ君  夏らしい物あるの?」    「勿論、有りますよ (o^―^o)ニコ」 ってテーブルに並んだのが、 090723_180845 090723_181804           “枝豆”  (これ、茹でたてだけど普通 プ━━━( ゚,_・・゚)━━━ッ)   “ごうやの天婦羅” (ごうやは、熱を加えると苦味が、旨みに変わりまぃぅ―( ´)艸(` )―♪美味しく頂けます)  “泉州の水茄子” (水茄子写メするの忘れたしまいました。水茄子は、たっぷり水分を含んでいて美味いんだな(@^▽^@)ニコッ)  “蓮根包み上げ” “いわし竜田揚げ” テーブルに並ぶのですが、ある事が エェエェエェエェエェエェエェエェエ(゚Д゚ノ)ノエェエェエェエェエェエライコッチャがあって写メ忘れました (。-´ェ`-)シュンシュン それは、、、、、、、、 (続きを読む…) ツイートこの記事をつぶやく